マスメディアとSNS
特にオールドメディアに対する批判はこれまでも行ってきたが、様々なオールドメディアの報道の仕方や題材の取り上げ方などを見ていると、ますます腐敗してきた有様がよくわかる。
基本的にメディアは最初から、ある種の洗脳装置であり、一定の主張やモノの見方を宣伝活動するものであると考えなければならない。
基本的にオールドメディアは金をもらって運用されているのだから、スポンサーには逆らえない。また、メディアの上層部には左翼思想の持ち主が数多く存在する。
お金をくれるスポンサーの意向を無視できないから、報道番組も一定の方向のシナリオが準備されており、これに従って番組が構成される。これん反する発言は禁止され、これに従わないおそれのある学者や評論家、コメンテーターなどは最初から番組に呼ばれることはない。
またメディアの首脳陣が一定の偏って思想を持っている人間によって固められれば、そこに公平さや公正さが実現できるはずもない。
さらに視聴率を稼ぐことも必要なので、難しく真面目な話はできるだけ避けて、面白おかしく、また様々なゴシップやネタを取り上げて、まともな議論などしない。
このようなオールドメディアに染まっていたのでは、まともな判断などできるはずもない。
もはやオールドメディアは「ジャーナリズム」ではなく「政治活動」を行っている主体、また「エンタメ」なのだと考えなければならなくなっている。
一方SNSなどのネット上の情報はどうか。
少なくともオールドメディアほどお金に左右される投稿は少ないだろうが、根拠のないデタラメやデマはもちろん規制されていない。
その意味では、SNSなどについては発信者の良識や良心に任される面が多く、正当性や妥当性が担保されているわけではない。
ただ、本人が自分のことを発信しているのであれば、それなりの正当性がうかがえるというだけである。
まだ、SNSなどの方が多様性がある分、双方の意見に耳を傾けることはできるかもしれないが、これを自分なりの意見や考えとしてまとめていくには一定の知的作業が求められる。
それがめんどくさいと思う人間は、デマを信じて拡散したり、事実を確認せずに信じ込んだりする。日本の情報空間はその意味で魑魅魍魎である。
強いて言えば、オールドメディアは一定の方向に世論を導くための仕掛けがあり、多様性は皆無。SNSなどは多様性はあるが玉石混交。その意味では、多くの人の意見とは裏腹に、私はSNSなどの方がまだ民主的であると考えている。
しかし、このような情報空間を泳ぎ渡り、自分なりの知識、見識を持つためには、広い意味での社会や歴史の背景や構造を知る力が必要だ。
それを得ることができるためには「読書」をすることや自分が信じられる人からの「講義」(動画や雑誌)のような形で学んでいくしかない。
このような学びが積み重なってくると情報の感度が高くなってきて、ある程度は色々な判断ができるようになる。
本当は、国民の全てが、このめんどくさい作業を成すことで、健全な民主制は担保されるのだが、残念ながら日本人のほとんどはそこから程遠い世界にいる。
学生時代に読書し、思考する習慣を身につけて欲しいと思うのは、このような理由からである。
しかし、自由なはずの学生時代にも数多くの障害が待ち受ける。
大学の先生の中には、極端な政治的主張を持つ人がいて、それを学生に信じさせるために授業を行っている人もいる。
大学時代には数多くの楽しみもあれば、アルバイトやサークル活動で忙しく、自分の狭い専門科目以外の読書などとてもする余裕もないだろう。
そも意味では、自分が経験し、学び、日常的に触れる情報の中で、ふと疑問に思ったり、違和感を感じたことに対して、少しの時間を割いて調べることを欠かさないで欲しい。
そのような自分の生活世界から、政治経済の世界、歴史の世界、国際情勢などについてその対象を広げていくしかないのである。そのためには自分の心を閉じていてはいけない。
絶えず、自分が正しいと信じているもの、常識だと思っていたものが、実は正しくないかもしれないと疑う余地を必ず残しておくことが必要だ。
そうして新たな情報や事実に触れていくうちに、自分の考えが間違っていたり、歪んでいたことに気づくことは少なくないだろう。
そうしていくことが人間としての成長だし、認識力が上がるということでもあり、また思考が深くなるということでもある。
学生時代の学びの中で、そして日々の経験の中で、自らの思考を開き、心を開いて生活を送っていくことだ。
その態度は、オールドメディアやSNSにも左右されない、オリジナルな自分の思考を創造していくための大切な心構えである。
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