「経済と人間の旅」 宇沢弘文
経済学者、宇沢弘文氏といえば「社会的共通資本」の概念で有名である。
この本はその概念について詳細に述べたものではなく、氏の経歴や経済学の歴史的な流れなどについて述べた後で、社会的共通資本について簡単にまとめられている。
経済学にとって、この「社会的共通資本」という概念は人間が幸せに生活していくために必須の概念だと言えるが、主要な経済学はこのような要素を切り捨てた方向に暴走している。
「社会的共通資本」については経済学を学ぶ学生だけではなく、政治や行政(公務員)などの世界を目指す学生にも是非学んでほしいものである。
その詳細は氏の「社会的共通資本」に詳しいから、詳細はその本で学んでほしい。
氏の言葉を借りると、「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域が、豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」
これはもう少し具体化すれば、自然環境、社会インフラ、制度資本のことである。
このような国民にとって重要な共通資本は、市場の価格競争に委ねたり、官僚が管理したりするものではなく、職業的専門家により職業規範に従い、維持管理されるべきであるとされる。
現代の市場主義は、このような社会的共通資本を市場の原理にゆだねて、歪んだ社会を作り出し、人間の幸福のための経済に反したものになっている。
この考え方は私が学生時代に学んだ、経済人類学者「カール・ポラニー」の思想とも通じるものがある。カール・ポラニーは市場を悪魔の碾き臼(ひきうす)と呼んで、人間の生活のあらゆるものがここに投げ込まれることの危険性を警告した。
この本の中では、なんでも市場の原理で経済活動や人間の活動を説明したり、経済的合理性なるものですべてを合理化しようとする経済学説に、厳しい批判がなされている。
特に、ゲイリー・ベッカーの経済学を例に挙げての批判が具体的だ。ベッカーは人間の社会のあらゆるものを経済(金銭)で説明し、人間の存在すらも価格がつけられそうな有様である。
また、著名なマネタリストであるミルトン・フリードマンに対しても厳しい批判がなされている。
私はこのような経済学者の学説を全て批判するつもりはない。しかし、人間にとって、また社会や国家にとって、全ての人々に共通の必要資本に対して、市場主義の考え方を普遍化することは間違っているのである。
このように人間社会のあらゆる物事を経済合理的な視点からだけ見て、あらゆるものに価格をつけ、それをマーケットに委ねることは、人間にとって不幸の温床となるだろう。
しかし、今、新自由主義の経済学などによって、日本もこの悪魔の碾き臼に巻き込まれ、日本の持つ多くの社会的共通資本が崩壊の危機にさらされている。
自然の破壊(今は流行りの太陽光パネルはエコどころか自然破壊の元凶だ)地域社会(共同体)の崩壊、教育(知識偏重や偏差値教育)や医療の崩壊(コロナで明白になった医療の脆弱さ)。社会インフラの弱体化。
全てはこの社会的共通資本を軽視し、マーケットに委ね、またそれに乗った政治家が推し進めてきた間違った政策によるものである。お金で全てが決まる社会を作ってきたのだ。
若くて優秀な学生はこのような「合理化」「効率化」「コスパの良さ」「利益重視」などの観点からこの社会的共通資本を軽視する考え方に傾きがちである。
だからこそ、熟練の大人の経済学とでも言える宇沢氏の「社会的共通資本」の概念には是非目を向けて欲しい。
経済学を学ぶ学生は、何のための経済学なのか、ということをいつも念頭に置いて欲しい。
「経世済民」の意味を熟慮して欲しい。
そして数式で合理的に計算される要素に限らない、人間社会の幅広い真実(教養)を見極め、それを踏まえた経済学の在り方を模索して欲しい。
経済学とは「人間の経済」を探求することなのだということを忘れないで欲しい。
宇沢弘文氏の著書は、そのための貴重な視点を与えてくれることだろう。
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