「流れる星は生きている」ー藤原ていー
この本を知ったのは、この本の著者の次男、藤原正彦氏の「日本人の真価」という本の中に紹介されていたからである。
藤原正彦氏といえば「国家の品格」という本は有名だが、「日本人の真価」という本もまた愛国者らしい著者の素晴らしい論考が収められている。
その本の中で、藤原正彦氏が作家「新田次郎」の次男であること、またその母である「藤原てい」に著書があることを始めて知った。
この藤原ていの著書は、戦争が終わって、満州から故郷の諏訪に引き上げてくるまでの過程が描かれているノンフィクションである。
その引き上げの過程での苦労は並大抵のものではなく、今の若い人がこれを読んでもイメージがつきづらいかもしれない。
しかし、だからこそ学生などの若いうちに、このような本を読んでおいて欲しいと思う。
私はこの本を通じて、戦争は悲惨だとか、平和はやはり大事だ、などと言うことを感じたのではない。
人間というのはここまで弱く、また強いものなのだということを同時に感じたのである。
当時著者は夫である「新田次郎」と離れ離れになり、たった一人で三人の子供たちを連れて日本へひきあげてきた。
もちろん一人で、というのは実際は正しくない。多くの日本人と行動をともにしながら、その過程で様々な経験をしながら日本に帰ってくるのである。
途中で多くの人々が亡くなってしまうような過酷な環境の中で、小さな子ども(生まれたばかりの長女、5歳の長男、3歳の次男)を連れて、長い帰国の旅を行うのである。
このような環境の中では、誰しも自分の身が可愛いものだ。
他人のことなど考えたりかまったりしていられない。自分の身が危うい環境では自分勝手にならざるを得ない。やはり人間は弱いものだということを様々なエピソードから感じた。
しかし、ある時はやはり人間は共に協力し合える存在なのだ、ということも。
同時に子供たちを何とか生かして、日本に帰るという母の持つ本能的な強さ、というものもこの著書から感じ取ることができる。著者の生き抜く力はすさまじいものである。その鬼気迫る強力なエネルギーにはただひたすら敬意を感じた。
私はこの本を、小春日和の天気の良い日。のどかな公園の池のほとりで読み終えた。
この本に書かれている厳しい過去の現実と、自分の今の穏やかな環境のギャップは、今の日本の平和な現実を一層引き立てるものだった。
しかし、同時に、このような平和がおそらくは何かの拍子にあっという間に崩壊し、私もこの著者の経験したような悲惨な現実に直面する可能性があることを、この本は教えてくれた。
この本の始まりがまさにそのような始まり方だったからだ。
穏やかな日常が、日本の敗戦という一事によって、あっという間に悲惨な現実に置き換わる。
こうならないためには、一体今の日本に住む我々は何をすべきなのかということを考えさせられるのである。
子供たちが悲惨な環境で生きることなく、今までのような平和の中で、自由に自分のやりたいことを経験できて、衣食住に困ることなく生きていける世界は、本当にこのままでも継続可能なのだろうか。
あるいは、とたんに環境が激変する危険がどこかに潜んでいるのだろうか。
平和は維持する努力なくして継続できない。
国際環境は毎日変化し、日本の平和を脅かす要因は無数に存在する。
それを素早く察知し、できるだけ早く手を打ち、その芽を摘むこと。
これが国家の主人となった一人一人の国民に課せられた使命であり役割なのだが、果たして今の日本人はこの任に堪えられるだけの国民だと言えるだろうか。
残念ながら、この答えは否定的なものにならざるを得ない現実がある。
だとすれば近い将来、この著書に書かれたような厳しく悲惨な経験が、またこの日本人を待ち受けているのではないかという不安をぬぐうことはできない。
若い世代の人々には、先人たちのこのような悲惨な経験を経て、今の日本があることを知って欲しい。
それをリアルに感じることは難しいかもしれないが、同じような現実は、実はもう目の前にある未来かもしれないのだから。
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