「国際」化について
ここのところずっと、国際化というのが日本では流行していて、その意味も理解せずに漠然とこれを主張する人間が多いことに気づく。
国際とは「国」と「国」の交際のことを言うのであって、その前提には「国」の概念(国民国家)がきちんと存在していなければならない。それが、これまた流行の「グローバル化」とは異なる点だ。
国際化とはだから同時に「日本化」でなければならない。
外国の人間と、また外国と交際するのに、自分自身がしっかりと作られていなければそもそも健全な「交際」は不可能である。
それなのに、国際化の意味を誤解し、さらにはグローバル化などと言う言葉に踊らされて、足元の日本について何も知らない輩が多い。
特に問題なのは、英語ができたり、外国に留学したり、多少外国の学問などをかじった若者が、この自国不在の間違った国際化やグローバル化に洗脳されていることだ。
やたらとヨコ文字や英語を多用して、それが先端であるとか、最前線であるなどと思い込んでいる。
そのような若者に限ってではないが、自国のことを実はよく知らなかったりする。
国際化とは同時に日本化であることを忘れてはならない。
外国や外国人と渡り合い、時には競い、時には協働するために、自分のアイデンティティをしっかりと持たなくてどうしてそれが可能になるのか。
今の日本の政治家などは外国に留学して多少の外国の価値観を身につけてはいても、日本の歴史や伝統に敬意を払わずに、むしろそれを崩壊させることを国際化だと思っている人間が多いようだ。
日本の最近の政策はほとんどどれも、外国の基準に日本をただ合わせ、受け入れるだけの愚策だらけである。自分たちの足元からしっかりと考える習慣を持たない彼らは、長いものに巻かれ、金に動かされ、自分たちの保身のために、そのような動きをする。
もちろん彼らは正しい歴史を学ぼうともしないし、むしろそれを否定していたりする。
このような浅はかな「国際化」や「グローバル化」などと言う言葉に騙されてはならない。
自分や自国をしっかりと立てずして、「健全な交際」は不可能なのである。
日本はいまそのようなアイデンティティの危機に瀕している。
外国から入ってくるものを無条件に良いものであると考えたり、進んだものだと考えて、無批判に受け入れ、それに合わせて日本を変えようとするのだ。
それは健全な国際化ではない。
他国を参考にして変えるべきものは変え、変えるべきでないものは断固として守る。そのような健全な価値基準を有するものが、健全な国民なのである。
私はその意味では、やたらとヨコ文字を並べて偉そうに自己主張する若者よりも、地域においてこれまで受け継がれてきた素朴な伝統を静かに守り抜く若者を尊敬している。
軽薄な浮き草のような軽いアイデンティティしか有していない人間は、その言葉は軽く、真の国際人にはなりえない。
世界に目を向けることは、同時に自国に回帰することでなければならない。
それが健全な「国際化」の概念である。
自分はグローバル人材だとか、自分はグローバル人材を目指す、という若者は、まずは徹底的に日本について研究し、日本人としてのアイデンティティを確立せよ。
そう言いたいのである。
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