「国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶」 加谷珪一
日本の経済が低迷し続ける理由を、日本人の「性悪」とする面白い視点の著書である。経済心理説ではあるが、日本の歴史や経済史的な観点なども織り込まれており、非常に説得的な内容だ。
まず、戦後日本は輸出主導型で経済を伸ばしたが、残念ながら驕り高ぶりからIT化なども含めた国際環境の変化に適応できず、国際競争力を失ってしまった。そうなると国内消費や国内投資が積極的に行われるべき消費型経済に移行しなければならないところ、日本人の性悪や前近代的な心性、仕組みなどが足を引っ張り、消費や投資が伸びない。日本人はこの悪循環から抜け出さなければならない、ということだ。筆者の提案として3つ。
1 データと科学を重視するリアリズム
2 個人と企業の自由を保障
3 根源的な理念や価値観の共有
1についてはコロナの対応を見れば明らかだ。全く科学やデータの根拠なく様々な対策を国民に強いて国民生活を大混乱に陥れた。データや科学ではなく利権やしがらみが政策を決める根拠になる。筆者は山本七平の「空気の研究」や土井丈朗の「甘えの構造」などを引用して、日本人の心性の問題点を指摘する。
2は明確な根拠などもなく空気やバッシング、誹謗中傷などで個人や組織ががんじがらめになっていく姿を、コロナ下で多くの人が目撃したはずだ。
3は基本的に物事の判断が空気や状況など原理原則のない形で行なわれる日本の問題点が示される。
全くその通りだと思う。もはや日本は劣等国だと思うのは、このような面があるからで、私もこれには賛成である。
ただ、バブルをつぶした政府の政策の間違いや、消費増税の失敗など、政府の失政にはほぼ触れられていない。
確かに日本人は、他人の足を引っ張り、異質なものを排除し、バッシングやディスリが大好きである。その意味で「性悪」なのは確かなことである。ただ政府の失政で、日本人のマインドが委縮するほどに貧しくなっており、明るい未来を描けないことに関しては、国民の「性悪」ということだけでは説明できないだろうと思う。
日本は原理原則なき国家であり、重要な価値や理念を国民が共有できていないし、国策としても一貫性がなく、諸外国の顔色をうかがいながら右往左往している。それはやはり戦後特に顕著になっていることから考えると、やはり根本的な国家観や歴史観の問題でもあると思える。
上の三つの提案をみるとそれは国民に対していうべきことではなく、政治家や企業の経営陣などの指導者層にまずは突き付けられるべきことだろう。国民が限られた情報と生活空間の中で、多少「性悪」を改善したとしても、日本の経済が低迷から抜け出せるとは思えない。
国民にできることはメディアなどが作り出す空気を読まずに自由に活動することだろうか。
また、原理原則なき、そして科学的根拠なき政策や企業の方針に逆らいながら生きていくことだろうか。しかし、それは現実的に可能だろうか。
その意味でこの本のメッセージの名宛人が誰なのか、多少の疑問を感じるのである。国民の個々が賢くなる必要はあるし、「近代的」にならなければならないのかもしれないが、今の日本の国民にそれを求めることはなかなかの困難を感じる。ほとんどが生活するのにいっぱいで、自分たちの判断や行動の背景や根拠を振り返って反省する余裕などないだろう。
その意味では、制度的な面から、国民がそのように考え行動できるような仕組みづくりを行うことが先決だと考えられる。その意味で「国民には知らしめず、由らしむべし」であるべきではないか。
ただ、国民個々が他人をバッシングしたり、誹謗中傷に血道をあげたり、ネットでのディスリなどを控えるだけでも、多少は自由な社会になるかもしれない。それによって他人のことは気にしないで自分自身も自由になれるのではないだろうか。そのような心境で経済活動を行う人が増えれば、経済の低迷から抜け出せるきっかけがつかめるかもしれない。少なくとも、自分だけは「性悪」にならないように気を付けたい。
様々な意味で、示唆するところの多い本であった。是非勧めたい。
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