「史伝、西郷隆盛」 海音寺潮五郎

「史伝、西郷隆盛」 海音寺潮五郎


史伝 西郷隆盛

西郷が、大島に島流しになるまでの期間の伝記であるが、鹿児島生まれの著者の手によるところが独特の理解が示されていて面白い。西郷の人生の後半について詳しく書かれた書物は多いが、まだ倒幕にいたる前の西郷の姿を詳しくまとめたものとして、知らない史実がたくさんあったのでとても参考になった。

西郷は、島津斉彬に見出されて、活躍の舞台を与えられるが、斉彬が長生きしていれば、日本の歴史も、もっと違ったものになったに違いないし、西郷が斉彬の目に止まらなければ、日本の歴史もさらに違った方向に変わっていったに違いないと思う。

そう考えると、人間と人間の出会いや、たった一人の人間の存在が、歴史に及ぼす影響は実はかなり大きいのではないかという気がしてくる。私たちは所詮、庶民に過ぎず、歴史上の人物と比較して、その器量も能力も影響力も全く足元には及ばないのだが、だからと言って自分一人が頑張っても意味がないとは言えない。

やはり自分なりに社会に何らかの影響を与えれば、それは何らかの形で社会の変化に寄与しているのであって、その変化が自分で確認できないだけかもしれないからである。

その意味で、全ての人が歴史の人であり、自分の身近な毎日の活動が、日々世界に何らかの影響を与えているのだという意識や気概は持っていた方がいいのではないかと思えるのである。たった一人の人物との出会いや、自分が行った一つの仕事の価値を軽く見てはいけないのだと思う。

私は故郷の長崎に帰る前に、大学時代を過ごした鹿児島を訪ねることが多い。学生時代を過ごした色々な場所を歩くこともあるが、必ず行く場所は「南洲神社」である。西南戦争での西郷軍方の戦死者が埋葬される南洲墓地の北隣にある神社なので、墓地にお参りする際には必ず立ち寄ることにしている。

西南戦争で命を落とした多くの戦死者の墓が並んで立っているこの場所に行くと、いつも不思議な気持ちになる。彼らは本当に死ななければならなかった人々なのだろうか、という思いだ。優秀な人材が無数にいて、日本のために尽くすことのできる人々は無数にいた。西南戦争で多くの若者や人材をなくしてもなお、薩摩には明治政府に残って活躍した人物や、日清、日露戦争で重要な働きをした武人たちは無数にいる。人材の宝庫だったわけである。

その意味では、国内で優秀な人材を数多く失った明治時代の内戦は本当に残念でならない。また同時に、価値観の違う人間が、共に協力して仕事をしていくことの難しさを感じないではいられない。

ただ、薩摩隼人は人間としての、武骨な生き方や、死に方を教えてくれるものとして、今でも私にとってはとてもいい教育者たちである。そのリーダーが西郷隆盛であり、日本精神のあるべき姿を、今でも指し示し続けているのではないかという気持ちが捨てきれない。それが私が西郷隆盛に関する本を読み続ける理由である。

日本は西郷の指し示す方向に進んだ方が、実は幸せだったのではないか、と思うことがある。その意味でも、この謎多き人物とそれをとりまく多くの薩摩隼人のことを、今後も学び続け、理解しつづけたいと思っている。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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