「やりがいのある仕事」という幻想 森博嗣
大学の先生から小説家になったという異色の著者のエッセイ風な仕事論?である。仕事にやりがいや生きがいのようなものを過度に求めがちな風潮に対しての冷水的な意味を持っていると思う。
私自身はやりがいのある仕事はあると思っているし、やるならばやりがいのある仕事をした方が幸せだと思っている。私自身は、人間は仕事をするために生まれてくると思っているので、この著者とは少し仕事に関する考え方が異なる。ただ、やりがいや生きがいを他人に与えてもらうものだとか、どこかにあるものだという考え方には私も反対であり、この著者の言うように、結局そのようなものは自分で育み、作るものだと思う。
私にとっての仕事のやりがいや生きがいというのは簡単で、一言で言い表すことができる。それは「貢献実感のある仕事」だということだ。そして「貢献実感のある人生」が生きがいのある人生だということだ。
これを日常的に多くの人が感じられる方法がある。それは小さなことでもいい。感謝の言葉で社会を満たすこと。職場を満たすことだ。これは社会全体を見たときのひとつの解決法になる。
この「貢献実感」はお金を生むか生まないかは全く関係がない。修道女は神に奉仕する、神への貢献という意味でやりがいのある生活や人生を送っているということができる。それは専業主婦でも同じであり、家族に対する貢献実感があれば、幸せなはずだ。お金を生むから偉いとか、いい仕事だとか、やりがいがあるということにはならない。その意味で極めて主観的なものだと言える。ただ、生活していかなければならない多くの人にとってはお金と仕事が対価関係にならざるをえないからこそ仕事の悩みは大きくなるわけである。
ただ、通常の若者がよくそうするように、職業そのものや職業全体にやりがいを求めるのは難しい。仕事はやりたいことややりがいのある仕事の中にもやりたくないことややりがいを感じられないことが含まれるものだ。貢献ということに目を向けても、これが誰かに貢献しているのかという実感が持てない仕事もあるから、そのような貢献実感を持つことができないならば、本人としてはやりがいがないということになってしまうだろう。
その意味で、研究者や思想家などはそもそも自分がやりたいことや熱中できること、表現したいことや伝えたいことを仕事にしているだけで、やりがいなど気にしてもいないだろう。この著者のやりがいについての考え方は、やはり研究者や思想家に近いから、やりがいを求めて放浪する一般サラリーマンの感覚からはやや遠いのだと思える(思想家や研究者としてお金をもらう、給料をもらえる人は少数派であるから)。
多くのサラリーマンは組織の中で窮屈な思いをし、自分のやっている仕事が、何かに貢献しているのかどうかも実感できないことも多いから、その中で苦しんでいるのである。しかし、誰かに感謝されたり、認められたりしたら、やはり嬉しくそれをやりがいと感じる人は多いはずだ。だから私が先ほど述べた「貢献実感」とは、組織の中では他人の評価や他人の承認をある程度前提にしたものでもある。また、その場で認められなくても、自分として貢献できたと認識できれば、そこにやりがいを感じることは十分にできるはずである。
この本では、多くの人からの質問に著者が答えている章がある。このQ&Aの著者の答えはなかなかの圧巻であり、どれも的を射たものであると思う。職場や職業に対する悩みを多くの人が抱えているが、それに対して客観的にいい意味での突き放しをしながら答えている。これがむしろ愛情だと思うのだが、悩みを抱えた人にとってはこれがクールに映るのだろう。悩みとは基本的に感情的なものである。だから理性的に答えても心に響くかはわからない。ただ感情で同調してあげたとしても、解決にはならないだろうから、著者の返答は適切だ。あとはそのような合理的なアドバイスを、相談者がどのように活かしていくかという問題だけが残る。
やりがいのある仕事をするためにはどうすればいいのか。個人としての解決法は感謝される仕事をすること。つきなみの言葉でいうなら「いい仕事」をすることである。それがどうしても自分の職場では無理ならばやめるか、仕事を替えるしかない。あるいはどんなにいい仕事をしてもそれが評価されない、認められないならば、そこを去るしかないだろう。
しかし、仕事の中には自分としては面白くもない仕事であっても丁寧に仕上げて、相手にとって価値あるものに仕上げることはできる。そこで感謝されれば、やりがいが生み出せるだろう。結局一つ一つの小さなタスクの中に、そのようなものをちりばめながら職業生活を送るということが、やりがいや生きがいのある仕事をしているということになるのではないだろうか。組織で働く多くのサラリーマンにとっては、このようなやりがいでも十分ではないかと思うのだ。
毎日、どんなときもやりがいのある仕事など求めることはやめて、日常的で小さな一つ一つの仕事や人とのかかわりの中で、感謝される仕事や関わり方をし、その積み重ねを続ける中で、やりがいや生きがいは醸成されてくるものだと思う。
もっと大きな意味でのやりがいや生きがいを求めていると言う人(いわゆる天職だとか使命のようなもの)は、それを求め続けたらいい。やりたいことがあればすぐにやればいい。ただ好きなことを仕事にしたらやりがいがあるか、天職かどうかは別であるので、色々なことをやってみるしかない。私個人は「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致している仕事の中に天職や使命があるのだと思っている。私自身はそのような職業生活を送っている。
日常の仕事の中に、そして自分の人生をかけて、「やりがい」「いきがい」を創造していくためには自分で考え、行動していくしかないことだけは、確かなことである。
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