福祉バスの仕事を終える
間奏曲―フリーターの時代―その11
毎日のように、朝から夕方までは福祉バスに乗っていたが、それほど大変な仕事をしたわけでもないように思いながら、帰ってくる頃にはかなり疲れていた。
私のとっての福祉の仕事は、非日常であり、これに慣れるのに半年以上がかかった。私の当初の予定では、この仕事は1年でやめて、別の仕事をするつもりだったので、半分以上の月日は、おっかなびっくりの対応や対処に終始していたことになる。
しかし、半年を過ぎたころには、非日常が日常化してきてかなり慣れてきたのは事実である。
このいわゆる慣れ、というものが本当に良いことなのかはわからなかったが、それによって私の仕事に対する緊張感は薄れて、子供たちとの時間を楽しめるようになっていた。
ほとんどの子供たちは言葉が話せない。そのような中でも、一緒にいることに違和感をもつこともなくなってきていた。それぞれの子供たちは障害を抱えながらも毎日福祉施設に通ってきて、施設の職員や他のみんなと一緒に時間を過ごしている。
そのような一日一日が、彼らにとっては貴重な人生の一部だし、時折、福祉バスで遠足に出たり、日常とは違う場所に出かけたりするすべての時が、健常者となんら変わらない人生の貴重な時なのだ。
この仕事を終えて、帰りに駅や街を歩けば、元気で健康的な若者が楽しそうにあちこちで談笑し、遊んでいる。
本当にいろんな境涯の子供たちを見ていて、このような現実が自分にそしてこの社会に何を突き付けているのか、考えざるをえなかった。
私のような健康で、自分の意志でなんでもできる人間の役割や使命は、本当はもっと広く大きなものなのだと思うし、そうであるべきだとも思った。
子供たちには、毎日毎日、今のように大きく変わることのない日常を過ごしてほしいと願った。
この子たちが大きくなる時、一体どのような環境や状況が待ち受けているのか、私には想像もできない。そのまま大きくなって大人になったら何かが変わるのかも、また変わらないのかもわからない。この子供たちの未来がイメージできなかったのである。
1年がたって、当初の予定通り、その仕事から離れることにした。私にとってずっとやるべき仕事ではないと思っていたからでもあった。
私はこの仕事を辞めるときには、子供たちには何も言わずに、その職場を去った。
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