何故、今日本なのか(4)

何故、今日本なのか(4)


日本の江戸時代の末期に、ペリーが軍艦を率いて、日本に来航し、日本を恫喝。

ペリーの突然の来航にあたふたとした弱腰の江戸幕府は、情けないことに、不平等条約を(日米和親条約)を結ばされた。

日本の歴史を通常の教科書レベルで学んだ人は、このような形で幕末を理解しているかも知ればない。確かにペリーは日本という未開の国家を恫喝し、戦争という手段で脅して来航目的(通商)を遂げようとしていた。

今回はそういうペリーが実際に日本人と接してみて、漏らした感想について見てみよう。

ペリーの言葉である。

「実用的、機械的技術において日本人は非常に巧緻を示している。彼らの手作業の技術の熟練度は素晴らしい。(中略)よって、国民の発明力が自由に発揮されるようになったなら、最も進んだ工業国に追いつく日は、そう遠くはないだろう。他国が発展させてきた成果を学ぼうとする意欲が盛んで、学んだものをすぐに自分なりに使いこなすことができる。だから、国民が、外国との交流を禁止している排他的政策(鎖国)が緩められれば、日本はすぐに、最も恵まれた国の水準にまで達するだろう。文明世界の技術を手に入れたなら、日本は将来きっと機械工業の成功を目指す強力な競争国となるだろう」

このペリーの賞賛と予言は、その後の日本の歴史をみれば、見事に的中していると言ってもよいだろう。

ペリーがこのような日本人の優秀さに驚嘆したのは、様々な理由がある。冒頭に述べたペリーの恫喝に、全く屈することなく堂々と自説と日本の立場を述べてペリーを驚嘆させた人物がいる。

当時幕府の昌平黌の塾頭とされた「林復斎」である。彼がペリーとの交渉役を担ったのだ。

幕府はこの時、すでにペリーが日本にやってくることを何年も前から知っており、また海外の情報をかなり正確に手に入れていた。ペリーは日本に交易を迫ったわけだが、林復斎は、日本は自国だけで十分に物資を賄うことができるから必要ない、と言って断っている。

この交渉の時の様子を記録した「対話書」には、この時のペリーのうろたえた様子が描かれている。また、アメリカ側の記録では、林復斎のことを「厳粛で控えめな人物」であると評価している。

江戸時代の幕府の要人は無能で、明治維新はそのような無能な幕府を倒して日本を近代化させたのだという歴史観は、間違っているのだが、ここではその詳細にはふれない。

ただ、理解すべきなのは、この時に、外国の黒船にも全く動じることなく、堂々と日本の立場を主張し、国益のために力強くそれをはねのけた賢人が、日本にはいたという事実だ。

この後に林復斎とペリーとの間に交わされた「日米和親条約」は、不平等条約などではなかった、というのが真実である(条約文をしっかりと確認するとよい)。

ペリーはこの林復斎や、黒船に乗り込んででも異国から学ぼうとした吉田松陰の行動を驚異の目で見ていたに違いない。このような事実によってペリーは上記のごとく日本に対する理解を改めたのである。

今の日本はどうか。この林復斎に並ぶような政治家がいるだろうか。アメリカや中国の恫喝、また利益誘導にホイホイと乗せられ、簡単に自国の国益を放棄し、自分たちの保身ばかりに汲々とする政治家ばかりではないか。

当時の政治家と今の政治家の大きな違いは何なのだろうか。何がこのような違いの原因になっているのか。

日本人が日本人に学ぶことが必要なのである。

過去の偉人たちが歴史の中で多くの実例を残し、活躍の軌跡を示してくれている。

これを精緻に、また謙虚に学ぶことが求められている。海外に学ぶこともいいだろう。

しかし、日本人は、足元の教訓に満ちた人物に学ぶことを忘れ、欧米由来のものこそが新しく、優れたものだという大きな誤解と偏見の中にある。

目を覚まして、足元を見ることが、日本再生への道なのだ。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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