薄暗がりの未来を共に歩む
私が大学院で知り合った友人は、親切で品のいい人が多かった。
私に色んな情報を教えてくれたり、アルバイトを紹介してくれたりした女性は大学院生ではなく、聴講生だった。
また同じように私の教授の授業には他の聴講生もいてゼミなどを通じて色んな人と知り合いになった。
みんな勉強が好きで、知的で、情報通だ。
私の知らないことをたくさん知っていた。真剣に社会のことを議論したり、学問的な討論をしたり、一緒に色んなことを勉強してみたり。
中にはフリーターで大学院に聴講しにきている人もいて、田舎ではちょっと知り合えない人との出会いがたくさんあった。
聴講生の女性は交友関係が広く、他の大学の大学院生や学生、フリーターやサラリーマンまで、いろんな人を紹介してもらった。
東京では色んなライフスタイルがあった。就職もせずにこんな生活をしていたら私の田舎では変わり者扱いされるだろう。
ただおそらく学問をすることを自分の職業にすることは、本当はどうでもよくて、知的な会話や知的な探求をし続けたい人が集まっていたともいえる。
大学で職を得ることが可能なら、もっと多くの人が大学院から大学の教職員になっているはずだったが、大方の人はそうではない。
だから時々お酒を飲みながら色んな話をしても、自分の将来に対して明確なビジョンを描いている人は意外に少なかった。
色んな議論をしていても、今後自分がどんな職業につくのか、なにを生業にするのか、したいのか、という話はほとんどしなかったように思う。
また文科系の大学院の場合は、普通に大学を卒業した学生よりも就職自体は不利になるということも現実的な問題として理解できた。
民間企業では分析や批評の大好きな大学院生を採用するメリットはあまりない(もちろん民間で通用する専門知識や技能などがあれば別だが)。
このように当時、大学院は優秀な頭脳を社会に送り出すなどというものではなく、大方の場合は社会に出ることのできない学生の知的なサロンのようなものだったのだろう。
景気がよく、それでも生活には困らないし、先延ばしが可能な年齢でもあったからだ。
サラリーマンの友人も、職業に対して熱意をもって取り組んでいるというより、仕事は生活のために仕方なくやるが、本当は趣味や余暇を重視している人が多かったと思う(それはしかし、現代のサラリーマンも同じかもしれないけれど)。
その意味で、一緒におしゃべりや議論をしながら、暗がりのなかを方途も定めずに、手探りで生きているような、そんな気がした。
いくら学問をやってもなかなか自分の職業としての道を見出すことは困難なものだ。
しかし、やがては社会における自分の場所を見出すか、自分で作り出す以外にはない。
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