病院から大学へ通う
悲劇の交通事故の翌日。一日たってみると、足や腕や、体のあちこちが痛い。すぐに普通の病室に移された。
看護婦さん(現在は看護師)に、「あなたは昨日、あの状況で、本を読みたいから、自分の手提げから本を出してほしいと私に言っていたのだけれど憶えてる?」と聞かれて、「はい、憶えています」と答えたのだが、交通事故に遭った当日に病院で本を読みたいと言い出す学生に、彼女は驚いたようだった。私としてはどうせ眠れないし、いつもの習慣で本の続きを読みたかっただけなのだが(「今日はもうやめとこう」と言われたのも今でもよく憶えている)。
その病院の看護婦さんはみんな親切で、若い元気な人が多かった。
翌日午後には大学の友達が次々にお見舞いに来て、下宿先のおばさんもやってきた。おばさんは私の悲惨な姿(顔はガーゼで覆われて誰だかよくわからない)を見て涙を流していた。
人の情けが身にしみた。
その日の夕方には父親から病院に電話が入り、一番心配していなければならないその人は
「保険に入っているから一週間は病院に入院したほうがいい」といった。
えっ?
入院が一週間以上で保険金が下りるという。
「わ、わかった、そうするよ」と父の思わぬ言葉にうまく反応できなかったのだが、本当は父もほっとしていたのだろう(と思いたい)。
その日、授業にはとても出ることができず、欠席。語学は3回休んだら単位をつけない、ということだったので正直あせった。しかし怪我の回復は思ったよりもかなり早く、外出はすぐに可能な状況になった。
基本的に骨折もなく、表面的な怪我だけだったので、腫れがひいて傷がふさがれば何の問題もない。その意味では数日で退院することも可能だったはずだった。
しかし、医者はなぜかもう退院してよいとはいわず、「まあまあ、ゆっくりしなさいよ」などといっていた。私を自転車ごと飛ばしたバイクの保険によって私の入院費はまかなわれることになるから、私が入院し続けて誰も損をしないのだ。また一週間以上の入院で、私には保険金が入る。
医者と私(と父親)の利害は一致。
私は父親の言いつけをよく守って、結局12日間入院した。
語学だけは出席しなければまずいので、私としては早く退院したかったのだが、医者に相談すると「ここから通学すればいい」という。
そうして何日かは病院から大学に通った。「いいのかなこんなことしてて」
と思いながらも。
そういえば私のベッドの隣の人はかなり元気だった。奥さんが時々病室にお見舞いに来てはイチャイチャしていたから、ほんとにどこか悪いのかな、と思えるほどだ。そんな人が病院には結構いて、実はみんなズルで入院しているんじゃないかと思ったりした。
私も同罪なのだが、おかげで入院中はかなりたくさんの本を読んだ。
楽なことが決して幸せではないのだと思い始めたのは、この入院という退屈な日常があったおかげだ。人間は何かをするために生まれて、何かをするために生きているのである。
ただ寝ているだけ、黙っていても食事が運ばれてきて、暇はあるが何もできない状態は決して幸せな状態ではない。
本を読むしかない日常と、考え事をするしかない時間。確かにそれはそれで充実した時間ではあるのだが、このように自分だけの世界で心の平安があったとしても、人間にはやはり活動や行動する幸せというのがあるのだろう。
考えてみればこれまでの人生において、ずっと毎日本を読んだり考え事をしたりするだけの時間を持ったことがなかった。それを一定の期間持ってみて、人間には心の平静を求める気持ちと、社会や他人に働きかけて活動したり行動したりすることを求める気持ちの双方が併存しているのだと感じた。
大学1年目のこの年、少しずつ夏が近づいていた。
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