日本人のための憲法改正入門(1)
日本人が憲法という法律を本格的にもつことになったのは、明治時代になってからです。
確かに歴史の教科書には書かれているように、聖徳太子の時代にも17条の憲法というものはありました。
ただ、この憲法は国家の基本的な制度や人権などが規定されていたわけではなく、憲法学でいうところの「憲法」ではないと言われています。私はこの聖徳太子の時代の憲法にも重要な意義と意味を感じていますが、とりあえず、日本で本格的な「憲法」(近代的な意味での憲法)とは明治憲法以降を指すといってもいいでしょう。
明治憲法は敗戦によって、現在の憲法にとって代わられることになりましたので、日本人は実際には自分たちの力で積極的に憲法を改正したことは歴史上、一度もないわけです。
これもまたかなり特殊なことであると言えます。
他の諸外国では憲法は頻繁に改正されたり、修正が加えられたりしていますので、日本人は「憲法」というものに対して、ある種の「絶対的な権威」のようなものを感じていたのかもしれません。
確かに国家の基本的な枠組みやあり方、そして人権の規定などが、その時々の状況や政権に応じてコロコロ変わるものであっていいわけではないのですが、憲法も法律である限り、一定の国際環境の変化や国家の指針の変化によって変えなければならない場合もあると思うのです。
現在の憲法の改正手続きは96条に規定されています。
96条
① この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票においてその過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを公布する。
このように憲法の改正は通常の法律の改正手続きと比べて、非常に改正が難しい規定になっています。
硬性憲法といわれるゆえんです。
ただし、硬性とはいっても、絶対に変更不可能だったわけではないので、やはり日本人にとって、現在の憲法は戦後かなり特殊な扱いを受けてきたと言ってもいいでしょう。
普通に生活しているうちは、憲法を意識することすらないでしょうし、普通の人が憲法の改正や憲法の意義などと言っても関心を持たないのは当然ではあります。
生活の中で意識する必要がないほどに、平和に慣れていて、この状態がずっと続くと思っているからだと思われます。
しかし、特殊な事件を考えてみると、今の憲法の下では、国民を守れないことが明白なのですが、このような事件は見事に別の問題にすり替えられ、憲法の問題としてきちんと取り上げられることすらありません。
国民が国家や政治や、必要な公民としての意識を、すでに失いつつあり、自分の生活さえ守られればいいという事なかれ主義や無気力(ニヒリズム)が日本社会を覆っていると言ってもいいでしょう。
実はそこそこの楽しみや娯楽や幸せを享受していると思えるときこそ、社会から何が失われているのか、冷静に考察する知性(インテリジェンス)が必要なのです。
この憲法改正に関しては次回以降でもう少しくわしく見ていくことにします。
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