幸福について(3)
この世界には、無限ともいえるほど多くの幸福の種が、いたるところにちりばめられている。
自分の生活世界を振り返ってみても、すぐに気がつくことが多いだろう。
美味しいものを食べて感じる幸福もある。
スポーツなどで汗を流して感じる幸福もある。
またこれまで述べてきたように、人間関係の中で感じるささやかな親切や他人との共感による幸福もあるだろう。
また1人で自然の中にいる時に、その壮大さや爽快さに幸福を感じることもあるだろう。
このようなものを挙げるときりがないくらいに、この世界のそこかしこに幸福の種がまかれ、埋め込まれているのだ。
人間が、この世界に生を受ける意味は、このような数多くの、様々な諸相の、様々な局面や次元の幸福をすべて知り尽くすためである。
そのすべての幸福の種子を発見することができた人を、知恵ある人、と呼ぶこともできる。
それはこの世界が、どのような目的で創造されたかを実感している人だからだ。
「知」と「愛」の融合した世界を、日常として生きている人だからである。
このような世界であるにもかかわらず、不幸がなくならないのは何故なのか。
それは、人間が素直さや純粋な心を失い、この世界の全てを正しく見ることができなくなっているからである。
世界にちりばめられている幸福の種子を、あえてつぶし、破壊し、ないがしろにしている。
幸福世界は、人間の汚れた心や行動のフィルターを通すことで、不幸世界に変わる。
これほど単純な真実に、多くの人は気がつくことなく人生を終えるのだ。
まずは、自分の日常の身近な幸福を探し、見出すことから始めよう。
目を凝らしてみることができれば、その数のあまりの多さに、感動の毎日を送ることができるはずだ。
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