何故、今日本なのか(7)
日露戦争は、世界史にとっても非常に重要な戦争であった。
日本がロシアと戦争になった時に、世界では日本がロシアに叩き潰されることを予想した人が多く、あ哀れな日本、という論調が大勢であった。
しかし、陸でも海でも、日本はロシアに勝ち、世界を驚かせた。特に海戦ではほぼ完ぺきな勝利で、これは世界の海戦史上類をみないものである。
もちろん日本の国力としてはすでに限界であったという指摘もあり(これについてはまだ十分に戦えたという説もある)、日本としては、とにかく第三国に仲裁を頼み、頃合いをみて戦争を終結させることを考えていた。
そこで、日本ではアメリカの大統領だったセオドア・ルーズベルトに仲介を頼むために、ハーバード大学でルーズベルトと同級生だった金子堅太郎がその任に選ばれた。
確かに適任だったのだろう。
伊藤博文からこの件について依頼された金子は最初は断ったようだが、伊藤の「一緒に命を懸けてくれ」、という言葉に励まされ、アメリカに渡る。
金子の予想とはうらはらに、ルーズベルトは金子を歓迎。日本に同情を寄せていることが分かった。
その後は歴史の教科書に書かれている通りである。
このルーズベルトが、日本の武士道に興味を持ち、それに答えて金子が送った本が「武士道」。新渡戸稲造が英語で執筆した本である。
この本を読んだルーズベルトは、30冊ほども同書を取り寄せ、自分の5人の子供や上下両院の議員や大臣に贈呈。子供たちにこのように言ったという。
「これを読め。日本の武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである。・・・・この武士道は全部アメリカ人が修行しまた実行しても差し支えないから、お前たち5人はこの武士道をもって処世の原則とせよ」
歴史の皮肉か、日本の日露戦争勝利の後。日本とアメリカは次第にその関係を悪化させ、先の大戦に至るのだが、この頃には、日本はアメリカと対等な関係が築けていたともいえる。
これも皮肉か、セオドア・ルーズベルトのいとこにあたるフランクリン・ルーズベルトは日米戦争をけしかけ、日本を戦争に追い込んだ。
大東亜戦争後、日本はアメリカの支配下に置かれ、完全にその事実上の植民地になった。
日本には、この時の金子のように、アメリカの政治家と対等に話のできる政治家はいなくなる(時々出てきたのだが、すべてアメリカに潰されている)。
その後は推して知るべし。日本の政治家は保身のための政治とアメリカに気に入られる政治、アメリカの圧力に屈する政治を行い続けて、その結果、日本は静かに崩壊しつつある。
アメリカにも教えるものを十分にもっていた日露戦争当時の日本。そしてそれはまだ失われていないのだが、日本の政治家がアメリカの後ばかりを追いかけるようになってしまった。
日本は遅れているのだ、とばかりにアメリカのいいなり。アメリカの勧める政策を実行し続けている。
「武士道」だけではない。日本は世界の国々を啓蒙できる多くの思想や哲学、文化をもっている。
それを最も知らないのが「日本人」ではないだろうか。
外国由来のものを有難がり、日本を貶める考え方が広がっている。だからこそ、日本人はまた日本に立ち返ることが必要だ。
自信をもって発信できる多くのものを大切にして、世界の発展や平和に、本当の意味で貢献できる国になるために。
日本に古くからある貴重な財産に、目を向けなければならない。
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