人生のステージが変わるとき
間奏曲―フリーターの時代―その34
もう最終面接を受けてから二週間以上がたっていた。
アパートに帰り着き、自分の部屋の郵便受けを見た。
見覚えのある封書が入っていた。
専門学校からの手紙。面接結果の通知だ。
もう、見る気もしなかったのは事実だった。今頃このような通知を見せられてもさらに気が滅入るだけだ。荒々しく封をやぶり中身を取り出した。
「・・・健康診断を受診してください。日にちと時間は・・・」
健康診断??
最終面接の結果。採用の通知だった。体の力が抜けた。
文面をよく読むと、この通知が遅れてしまったお詫びの言葉やその理由が書かれていた。遅くなったのは、本当は選考が難渋したのかもしれなかった。
この段階から私の人生は別のステージに舞台を移すことになった。その日はうれしくて眠れなかった。この専門学校の仕事に就いていなければ、私の人生は全く違ったものになっていた可能性が高い。その意味では決定的な岐路であったことだけは間違いがない。
朝の四時になるといつものように100円シャワーに行った。
いつものように六時に病院にたどり着き、いつものように本を開いて勉強を始めた。いつものように8時に病棟に行き、仕事を始めた。
この仕事とももうすぐお別れということになる。
感謝の気持ちで、残りの日々を過ごそうと・・・この日はなぜか全てが新鮮だった。
自分が転職するとき、職場を変わるとき、環境を変えるときに大切なのは、その場に感謝して去っていけるかどうかだ。
通常、転職などというと、今いる職場が気に入らないとか、嫌で仕方がないときに行うものかもしれない。そして不平不満や愚痴の数々を心に残して、転職していく人間は多いことだろう。
それでも私は感謝して去っていけるかどうかが非常に重要なのだと思っていた。
これまでに様々なアルバイトをやってきた。多くの職場で働いてきた。そして、転々と仕事を変えた。
ただ私が自慢できるのは、いつも職を変わるときに自分も感謝したいし、感謝される自分でもありたいと願い続けたことだった。
この病院の仕事も、夜にやっていたアルバイトも、そして塾の先生の仕事も、全てやめて正社員として就職をすることになったのだ。
自分に色んな経験を積ませてくれた職場に本当に感謝の気持ちで一杯だった。
できればもっと働いていたかったという気持ちも少なからずあったのは事実だ。
しかし、もう先に進まなければならない。
いつかは自分の道に入らなければならない。
病棟の婦長さんに「やはり辞めさせていただくことになりました」と伝えたときはさすが心苦しく、何度も頭を下げた。このときも婦長さんは気を悪くするでもなく「残念ね」と何度も言われた。
私がやめることになったことを知って、多くの看護婦(師)さんたちが声をかけてくれた。
「感謝を残して、次のステップへ」
これこそが人間が成長できている証だと思う。本当にその場を卒業できた証なのだ。
このような気持ちが自然に湧き出たことで、私はフリーターからの卒業証書を確かに手にしたのである。
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