平和主義
この時期になると、テレビ(まあ私はほとんど観ないが)などでは戦争の特集が組まれて、平和の尊さが主張される。
また、戦争の悲惨さや、原爆による被害などについても連日の報道がなされる。
戦争の悲惨さは当時の話を聴くまでもなく、映画を観たり、本を読んだりしていても、ある程度のイマジネーションのある人間ならば、絶対に避けたい悲劇である。
しかし、日本の平和主義には大きな問題点がある。学生の中でも反戦平和の活動などをして、自分なりの満足を得ている者もいることだろう。
戦争に反対して、当時の悲惨さを共有して、心を新たにする。絶対に戦争はいけないのだと。
それ自体は必要なのだが、問題はここから先がないことである。戦争は自らが放棄していれば起きないものではないし、戦争にならなくても他国から侵略され支配されることは十分あり得ることである。
というより実際は今の日本は、アメリカ、そして中国を中心とした外国にかなりの程度侵略され、国益を差し出している。これを国際化だとか、多文化共生などと言って推奨しているのが現状である。
この場合の侵略というのは領土の侵略ということではなく、経済や科学技術、文化や歴史などが盗まれ壊され、ないがしろにされ、守ることができていないということである。また、独立自尊の精神を忘れて、過度に外国に依存していることも含んでいる。
平和主義に話を戻すと、実際に具体的な平和を実現するためには、日本が自立した強い国家でなければならない。そして他国に自分たちの国家主権が左右されない前提条件が必要だ。
日本はこの30年経済的に疲弊し貧しくなった。そのことで、日本の多くの企業は外国資本に買われ、日本の土地も(規制する法律がないために)自由に外国人に買われている。最近では火葬場が中国資本に買われて火葬料金が高額になったり、マンションのオーナーが外国人に変わり、賃料が急に値上げされ退去を余儀なくされるなどの事例がある。
貧しくなると少子化も進み、人手不足を簡単に補う手段として、さらに外国人の移民が促進される。
こうして、今の日本は静かに静かに侵食され、崩壊に向かっている。
先人が命をかけて守ってきた日本の文化や歴史や伝統、国土、そして様々な地場産業も少しずつ切り崩され、失われつつある。
このようなこのような崩壊から日本を守ることが真の「平和主義」である。
戦争という武力の衝突だけではない戦争が日々行われているのである。そのような中で日本の古来の価値あるものを守り、さらに育て、後世に残していくこと。それこそが「平和主義」の目的でなければならない。
何のための平和か。これが問われなければならない。
日本人が平穏で豊かで、安心できる国にするために、何が必要なのかを現実的に考えて実行すること。これこそが求められているのである。
平和を実現する、というのは非常に厳しい現実的な判断と行動が求められる。
プラカードをもって、平和を叫び、戦争に反対するだけでは実現できない国際社会のリアルに目を向けて、現実的平和主義とは何かを問うことができる学生になって欲しいものである。
高校生まではある種の「空想的平和主義」に浸っていても良いが、大学生になってそのようなレベルの平和主義に自己満足しているのならば、それは愚かさの象徴であるということを忘れないで欲しい。
学問は空理空論を語る場ではない(分野によってはそれでもいい場合もあるが)。現実の社会で一定の効用をもってこそ、その本当の価値は生まれる。
大学で学問をやっていながら、理論や思想と現実の接合すらできないのであれば、それは真に学んだことにはならない。
また、自分は平和のために行動していると言いながら、日本の現実から目を背け、国際社会のリアルを知ろうともしないのであれば、その行動は実は価値を生まない。
平和というのは実に現実的でリアルなものであり、決して理念だけで語れるものではない。またスローガンだけでも実現できない。
恒久平和は求めるべき理想ではあるが、まず現実の一つ一つの問題や課題を、現実に即して解決していく力が求められるのである。
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