入学したら覚悟を決める
学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その21
専門学校生に限らないのかもしれないが、自分で選んだ学校なのだから、そこで努力する覚悟を決めろよ、と言いたくなる学生は多かった。
確かにその環境は、自分の考えた環境とは違う面もあるかもしれない。思うようにいかないことも多いだろう。やってみたら勉強がことのほか難しくて、ついていくのも大変だとか。
しかし、入学金を払い、授業料を払い(実際は親に払わせ)入学したなら、よほどのことがない限りは覚悟を決めて努力して欲しいと思ったものである。
あれこれと理由をつけて遅刻や欠席。本気になって自分の目標に取り組むことのできない学生はいつも少なからずいたからだ。もちろんやる気にさせるのは教師の仕事でもある。ただそうはいっても湿った燃料にはどんなに火を近づけても燃え上がることはない。
その意味では、このような学生にいかに対峙していくかは、何年たっても私の課題ではあった。特に担任を持って最初の数年は、学生に厳しく接することも十分にはできなかった。
教師はいつも学生からの支持を得たいという気持ちは持つものである。厳しく接することはそれとは全く矛盾しないのだが、自分に自信がないうちは、学生に対しても断固とした厳しさを発揮できず、及び腰になったりする。
最初に担任を持ったクラスは、9月の高校卒業程度の試験においては他のクラスと変わらない結果が出て、一安心したが、結局はクラスの看板である国家Ⅱ種や大学卒業程度の試験への合格者が少なかったことが課題として残った。
自分自身で理想として思い描いた自分の姿と、実際の自分とはまだまだ大きな開きがあった。その年も暮れて、担任をもってからの1年が過ぎようとしていた。また4月からは新たなクラスを担当することになるだろう。
私は、この時、もはや学生に妥協することなく、厳しく接していくことを決めたのである。学生へのハードルを上げて、自分の本音で接していこうと決めた。学生に合わせて行動したところで、結局結果は出せないからである。
目標とする試験が難しく、それだけの努力が要求されるものならば、妥協することなく努力させることが教師の務めである。そう思った。それからはクラスの合格者の実績や結果を出すために全力で努力してみようと決めた。
学生に対してきちんとした自分の目標を確認させ、それに応じた努力をさせる。それについて決して妥協はしない。その代わり自分も努力を怠らない。学生に覚悟を迫るならばまた自分も覚悟する必要があったのだ。
4月になり、担任、2年目がスタートした。
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