高学歴を目指せ
「高学歴」という言葉を聞くと、東大ですか、難関大学ですか、偏差値の高い大学を目指すべきですか、などという言葉が聞こえてきそうだ。
しかし、私の言う「高学歴」は「高度な学習歴」のことである。
いまだに世間では偏差値や、有名大学、難関大学に行くことが、高学歴の証であり、それをもてはやす風潮がある。
また、そのような大学に行くことが人生の勝利だと考えて、年齢を重ねてもそれに囚われる愚かな人間も少なくない。
本当にバカげたことである。
人間の学びや学習と言うものは、一生続くものであり、それをやらなければ、どのような大学を出ても、また大学院を修了しても、それは低学歴の人間である。
考えてもみて欲しい。大学が決まるのはたかだか20年くらいの人生の途中であり、その後私たちはその3倍もの人生を生きることになるのだ。
その期間を、十分な学びをせずに過ごしたら、そんな人間が「高学歴」であるなんて言えるだろうか。
人間は一生学び続ける存在であり、自分を取り囲むすべての物事や人間関係などの環境は、その人にとって重要な学びの材料である。また社会や国家の在り方、歴史や思想や、様々な世界のあらゆるものを学ぼうとすれば、膨大な時間がかかる。
大学や専門学校、また高校などを卒業してからも学び続けている人間と、卒業して社会人になったら、学びを止めてしまう人間とでは、想像もつかないくらいの大きな認識の開きが生まれる。
もちろんそれは、履歴書には載らないし、外見からわかるものではない。
それでもその人の言動の端々に、そしてその醸し出す世界に、違いがあることは、その人を深く知ればわかることである。
そのようなにじみ出るような教養とでも言えるものをこそ、人間は求めなければならない。
真の教養は、自分を幸せにし、他人を幸せにし、世界を変える力を持っている。
興味のある所から学びのきっかけを作り、学習歴を重ねる。
死の一歩手前まで、学ぶ姿勢を持ち続ける。そして考えを深め、自分なりの意見や、人生観、世界観を創造する。
それができて初めて、その人は「個性的」な人生を生きた、と言えるだろう。
その意味では、学生時代は、そのきっかけをつかむべき重要な時期である。
書物との関わり、人との関わりの中で、どのような萌芽をつかむのか。
それが問われているのである。
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