遊びについて
卒業間際のこの時期に後輩達によく話していたことを書いてみたい。
大学は、もともと学問するなどと言う気持ちは皆無に等しい学生が多い。空いた時間をどのように過ごすのかということに関しても、やはり遊ぶことにほとんどの時間が割かれてしまっているのである。
大学は自由に遊ぶところである、遊んで自分の器を広げるべきである。
今までにできなかった経験をたくさんして受験勉強などでは学べなかった多くの事を学ぶのだ。それは確かに一面の真理である。確かに遊びの中に学びがあったり、新たな経験があったりで、私もその中で成長できたと思う。
しかし、実際には、多くの学生は狭い世界に閉じこもり、新しい経験などほとんどせず、嫌なことはやらない、居心地のいい世界に安住したいというメンタリティーを身につける。社会常識やマナーによって自分を律する機会も失われる。
しかし、遊びとは本業があって初めて意味を持つ。
「遊び」はやはり「あそび」であって、本業に真摯に取り組み、努力するからこそ「あそび」の価値は大きくなるのである。
日常は我慢や努力が成立しているからこそ、非日常で「遊ぶ」ことが大きな意味を持つのである。
「遊び」はそもそも非日常的なものなのだ。
この「非日常」が「日常化」すると人間の心は正常なバランス感覚を失ってしまう。
大学生はもう一度「自分が日常の中で何をすべきなのか」をしっかりと考えてみる必要があるだろう。
日常的な大学生活の中で、目的を持ち懸命に努力したり、自分を律したりする生活が成り立ってこそ、「遊び」の時に感じる喜びや価値も大きなものになる。
そして確かに大学生にとってのその「遊び」は、今までできなかったこと、社会に出たらなかなかできないことであり、その意味や価値は大きなものとなるのだろう。
その意味で、自分の日常的な努力目標と遊びの双方を巧みにコントロールしていくことで、大学時代は最大の実りをもたらす貴重な時代になるのだ。
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