迷い、悩め。自分を信じて
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その45
学生時代に書いた日記を読み返してみると、本当に今の自分からすれば、つまらないことで悩んでいたものだと思う。
ほんの些細な人の言葉や態度に傷ついたり、自分としてはこうありたいと考えていたことであっても、他人の評価や意見によって迷ったり、左右されたり。
また自分だけではない、多くの同級生の悩みや葛藤、そしてサークルの後輩達の悩みや苦しみをたくさん聞いたが、それらは全て、今の自分であればあっさりと答えが出るような問題だったと思う。
なぜ、あんな些細なことで悩んだのか、なぜ、あんなつまらないことでたくさんの時間を使ったのか、そう考えると無駄にも思えるあのような時間が、今の自分にとってはむしろ黄金の時間に思える。
人間はどんなに成長しても、それぞれの段階で悩みや苦しみが出てくる。
今をどんなに幸せいっぱいに生きていても、いつかは歳をとり、病気もする。体力も容姿も衰える。そして家族や大切な友人とも必ず別れの瞬間が訪れる。
ずっと続く悩みや苦しみもなければ、ずっと続く幸せも、この世界には存在しない。
どんな悩みや苦しみが出てきても、それには必ず意味があり、その悩みや苦しみは必ず何かのメッセージをあなたに運んでくる。悩みが問題なのではない。そのメッセージを正しく受け取れるかどうか、それが問題なのだ。
悩みや苦しみを乗り越えた時の成長そのものは、神様からの最大のギフトだ。
学生時代の悩みは小さなものである。必ず解消していくものである。
しかし、だからこそ、その小さな悩みを大きなことのように考えて、のた打ち回る特権が学生には与えられている。
小さな悩みをまるで顕微鏡ででも見るかのように大きなことのように考える。大人から見たらなんとつまらない悩みかと思えることを、必死になって考える。
それでいいのである。
しかし、せっかく悩むなら、必ずそこから何かをつかみ、成長し、神様からの貴重なギフトを、受け取って欲しいものだ。
その一つ一つのギフトは、必ず、将来あなたが誰か他の人に、そして遅れてくる若者達にプレゼントしてあげられる最高の価値をもったものになる。
自分の悩みは自分だけのものではない。
せっかく悩むなら、自分だけのためではなく、それが結局は他人のためにもなるのだと思って、大いに悩むがいい。
そして環境や他人にその答えを求めるのではなく、必ず自分自身の中に、それを解決する力があることを信じることだ。
人生は悩みの連続だが、それは当然のことだ。
人間の人生はまさにそのように仕組まれているのだから。
そして神様からのギフトをどれだけたくさん受け取ることができたかが、あなたの人生の価値を決めるのだから。
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