自由と強さについて
大学時代になると、様々な束縛はなくなり、義務から解放される状態になる。
高校までの厳しい校則、受験勉強のための時間管理、親の庇護のもとにある不自由さ。
そこからある程度解放されて、自由になった気持ちにうかれたりするものだ。
義務的な束縛から解放されると、人はこれを自由だと勘違いする。
義務からの解放と引き換えに、今度は他人の言葉や評価、価値観、そして自分の欲望などの奴隷となってしまう。
それは自分をコントロールしていくだけの強さがないことが原因である。
大学時代を無為に過ごし、ほとんど何も得るものがなく時間を費やすものは、強さが不足している。
「義務」からの解放や、「義務感」が薄れることを自由だと誤解しているのだ。
単なる「解放」からは実は何も生まれることはない。
ここから、自分の歩みを律していく本当の「自由」への道が始まる。
多くの人や多くの考え、そして環境などに影響は受けても、それに流されることなく、自分で判断し選択する。
これができるためには、絶対に「強さ」が必要なのである。
本当の「自由」への道は、「強さ」とセットになっている。
自由というのは、自らの強い力で、その人生の内に「創設」していかなければならないものだ。
その力が弱ければ、放縦へと流れ行き、あなたは自由からの果実を決して受け取ることはできない。
だから自分を鍛えよう。学生時代は自分を鍛える場なのだと心得て、自ら厳しい環境に身を置くのである。
金銭的厳しさ、体力的厳しさ、時間的厳しさ、人間関係の厳しさ、仕事の厳しさ。責任の厳しさ。
このようなものに積極的に立ち向かって、自分を強く鍛えることができれば、それは素晴らしき人生のための貴重な資源になることは間違いのないことである。
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