自己肯定感を高めるために
間奏曲―フリーターの時代―その27
フリーター時代の私は非常に自分に自信がなかった。
もちろん正社員と変わらないくらい、いやそれ以上に働いているつもりではあったが、やはり何か根本的な自信に欠けていたのは間違いない。
フリーターの方には共通なことかもしれないので、それについて述べてみよう。私が何に対して自信がなかったのか。それは二つのことだったと思う。
ひとつは、組織の中で人間関係を作り、うまく同僚や上司とやっていく自信
もうひとつは、仕事そのものの能力に関する自信
この二つがなかったように思う。
この部分にある程度の自信がない人が、フリーター生活を続けてしまう傾向があるのではないかと思うのである。
そして結局はこの自己評価の低さ(自信のなさ)が、収入を決めているともいえるのではないか。
自分はたいした仕事ができない。
組織に縛られる人間関係になじめない。うまくやっていけない。
この自己評価の低さを何とか克服しなければならないということである。
実際には仕事ができるかどうかは、やってみなければわからない。そして組織で馴染めるかどうかも、人間関係によるのであって、能力の問題ともいえない。
要するに、メンタルな部分の不足や自信のなさ、自己評価が低いという心の問題がほぼすべてだと言える。
この自己評価の低さというものがどのようにしたら克服できるものなのか、少し考えてみたいのだが、やはり何らかの努力の継続は必要であると思える。自信を持つのに根拠はいらない、ということを言う人もいるが、私はそうは思わない。
人間にはやはり根拠のある自信が必要なのだ。それが些細なものであっても、大きな自信の核になってくれるものだからだ。
できればアルバイト以外の部分で、プラスアルファの努力を一定期間続けて欲しいものだと思う。
語学を学ぶとか読書を続けるとか、何らかの目的をもって、一定の努力を続けることは自信や高い自己評価の前提になることは間違いないだろう。
私の場合、病院に勤務していた時は、朝の仕事前の時間を利用して勉強を続けていた。
それは一定の継続力としてもとても後になって役に立ったし、継続できていたことそのもので自信をつけることもできた。
あとはやはり他人にある程度の評価をしてもらうことが、高い自己評価のためには必要だと思う。いくら努力をしていても、それだけでは不十分であり、それに伴って一定の外部からの評価があることが大切である。しかし、一生懸命、誠実に仕事をしていれば、必ずなんらかの評価は得られるもので、その点は世間の目を信じてもいいだろう。
私の場合、病棟においては看護師の方々にとても頼りにされ、信頼されていたと思う。もちろん高度な仕事をしていたわけではないが、仕事が頼みやすいといつも言われていた。頼まれたら断らずなんでもニコニコ引き受けていた(もちろん物理的に可能な範囲で)。
要するに周囲の人が必要とする仕事や動きをすることができれば、おのずと評価はしてもらえるものなのである。
結局は努力の継続と、周囲のニーズに応えることによる評価をいただくことが、自己評価を上げていくためにも重要なポイントになることだけは間違いないことだ。
自己評価を上げていくことが収入の増加につながり、就職につながる。
そう思った私は何とかして社会に通用する自信を身につけたいと思っていた。
そのためには以上の二つのことが必要であるように思う。
この二つがある程度かみ合って、一致してきたときが次へのステップが踏めるときなのだろう。
私は正社員以上に働こうという気持ちで仕事はしていたが、周囲からの評価をもらうまでは、当然、しばらく時間がかかった。仕事を憶えて自分だけでできるようになるまで、そしてさらにそれなりに自分の判断や工夫で貢献できるようになるまで。
私としては「正社員にならないか」といわれたらひとつの肯定的な評価を受けたものとして、それを自信にしてきた。
「正社員にならないか」
一生懸命アルバイトをしてこの言葉を言われたら、フリーター卒業はもうそこまで来ているといえるのではないだろうか。
Share this content:
コメントを残す