自分の未来を決めるもの
この時期、大学や短大、専門学校などの学生の就職活動が盛んである。
すでに進路を決めている学生も、まだ活動中の学生もいることだろう。
自分が生涯やっていく仕事を、本当の意味で自分の自由意思に基づいて、納得して決めていくことができれば、それは本当に幸せなことだろうが、なかなかそうはいかないのが、世の常である。
たくさんの企業を受けてみても、評価するのは、結局人間である。仏教の言葉にあるように「すべての人に褒められる人もいなければ、すべての人に謗られる人もいない」。
他人の評価というものは、本当に様々で、また同じ人が時を違えば以前と異なる評価を受けることもある。
就職活動における合否も、その時点でのあなたに対する、その時点での相手の価値観や、企業の価値観にもとづく評価ではあっても、それは決して、あなたの本質や、普遍的な姿をとらえてなされたものではない。
一つの企業に落ちたからといって、落ち込んで自分を否定する必要もなければ、悩む必要もない。
全力で自分らしくぶつかって、結果が出なかったときに、それをどのように考えるか、そこから何を生み出していくかも、全くの自由なのである。
就職できない若者、という言葉が言われることがあるが、企業に雇われる人生が普遍的であるわけではなく、また、自分に合っているかもわからない。
自分がどのような形のライフスタイルをよしとするのか、それをよくよく考えて、進路を決めていけばいいということなのだ。
学校で学ぶことは、基本的に「サラリーマン」として生きていくために、大切なことが多い。
例えば雇われない人生や、自分で富を作り出す人生、組織の束縛のない人生を生きるために必要なことが教えられることは少ない。
リスクが高いように見えても、自分で何かを始めて、生計を立てていける若者も数多くいて、そのような若者は、就職活動という流れからは、敗者に見えたりしているだろうが、それは世間の一般的評価であって、実際は有益な仕事をし、富を生み出し、多くの人に貢献している人間も多いものだ。
ほとんどの学生が流れていく、この「就職」という言葉の大河を離れて、独りで自分なりのライフスタイル構築し、生きていける強さを持つものが、実は次の世代の成功者と呼ばれる人かもしれない。
就職活動を通じて、いろいろな世間的な評価や価値観を学ぶかもしれないが、そこから余計なものを取り除いて、砂金を取り出し、自分の固有の人生に生かしていくこと。
採用試験ではいろいろな評価をもらうだろうが、それもやがては流れていくものだ。
未来を決めていくのは、決してそのような流れては消え去ってていくような他人の評価ではない。
現在から未来を貫き通すことができるのは、やはりあなたの決意や意志や夢や目標に他ならない。浮草のような他人の感情や、それに基づく自分の感情の流れに左右されず、いつも見続けることのできる未来像を手に入れることが、もっとも大切なことなのだ。
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