自分なりの幸福論を持つ

自分なりの幸福論を持つ


人間はすべての人が、幸福になりたいと望み、意識するとしないとにかかわらず、それを求めて生きている。

しかし、自分にとって、何が幸福なのか、それを人生においてつかみ取れる人は、実はそれほど多くはない。

例えば釈迦が、苦楽の中道を説いたように、安楽な享楽の中にも、そして苦行の中にも、それをつかむ術はない。

しかし、そのような極端な生活は幸せではないとわかっていても、人間は、特に享楽を求めることに幸せがあるものだと勘違いする。

たくさんお金があって、自分の欲望を満たすことが幸せだとか、安楽で快楽的な生活をすることが幸せなのだとか、そのように考える若者は多い。

だから、できれば若いうちに、お金のたくさんある生活も、お金のない生活も、両方を経験したほうがいい(実際には難しいが)。

その中で、自分にとっての真の幸福を求める姿勢を持ち続けて欲しい。

自分がどのような状態の時幸せなのか、何を手にすれば幸せなのか。そして最も考えなければならないのは、自分にとって、時間的、そして空間的に制限のない幸福感とは何なのかということである。

これは、単純に言えば、「いつでも、どこでも、感じられる幸福は、自分にとって何なのか」ということだ。実はこれが、自分にとって、真なる幸福である。

誰にも、何にも、依存しない幸福だ。

美味しいものを食べる幸福、自然の中に遊ぶ幸福、好きな人と一緒にいる幸福、人間には様々な幸福があり、それを否定はできないが、もっともっと本質的な幸福感は何なのか、ということをいつも考え続けて欲しい。

学生時代に、それを見つけることができれば、学生生活は成功と言えるが、しかしまた社会に出てからも、探求を続けて欲しい。

それを自分で、見つけ、つかみ、納得できる人生を歩めたら、お金があってもなくても、他人から認められても認められなくても、人生は成功したと言いうるのだ。

あなた自身が、その価値を知っているからである。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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