福祉バスの添乗員となる
間奏曲―フリーターの時代―その2
アルバイトの面接を受けた翌週の月曜日。
自動車会社の事務所兼車庫に向かった。朝早い時間に事務所に着いて、そこで私が添乗する予定のバスの運転手さんを紹介された。
この人は同じ杉並区の高円寺に住んでいる人で、この会社の社員。専属のバスの運転手だ。
毎朝、この時間にこの車庫に来て、自分の添乗するバスを掃除。それからバスに乗って高齢者や障碍者の方を迎えに行くのである。
道路の途中でそれらの人を乗せて、施設に送り届けるのだ。
添乗員の仕事は乗り降りの手伝いや車中での世話、そしてバスの移動時の案内などだった。
仕事自体はたいしたことのない仕事に見えるが、障害のある子供たちや高齢者(車いすに乗っている人も多かった)をきちんと乗せて、また下ろし、中で様子を見ながらコミュニケーションをとる。必要な世話をすることは私にはとても大変なことに思えた。
まず、話の出来ない人が多く(というかほぼ全員)、相手は言葉を話せないので、意思疎通ができない。何を望んでいるのやら、何を言えばいいのやら、全くわからなかった。
子供たちやお年寄りが、何を言いたいのか、どう考えているのか、全くつかめないのである。
また、中には、車中で発作を起こす子供もいて、その対処には本当に苦労をした。障害や病気に関するプロではないわけだから、何かが起きても全く対処法もわからない。
運転手さんは、そのあたりの対処は心得ていたようだったが、私にとっては恐怖以外の何物でもなかったのだ。
初日は、あまりの衝撃に大きなストレスを受けた。初めて会う人々、そして言葉が話せず、体も自由ではない。
私が当たり前のように生きて、生活してきた世界とは全く違う現実がそこにはあったのだ。
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