看護助手の仕事
間奏曲―フリーターの時代―その13
そのようなわけで、私は港区の虎ノ門病院で、看護助手として働き始めた。看護助手用のユニフォームもあって、白いユニフォームを着て、日々病院を動き回る日々が始まった。
病棟はそれぞれのフロアで看護助手がいたわけだが、私は7F病棟の配属になった。そこは脳外科、神経内科、耳鼻科が入っている病棟だった。
看護助手の仕事は、色々だが、こまごまとしたことを含めると色んな仕事があった。患者さんを検査に連れて行ったり、毎日の注射薬を取りに行って病棟に運んだり、洗い物もあれば、氷枕を作ったり、おしぼりを作ったり、細かい仕事がたくさんあった。
患者さんを検査に連れていくときは、車いすかストレッチャーで運ぶのであるが、そもそもその扱いさえまだ十分ではなく狭いところではゴツゴツとあちこちにぶつけたりしていた。
基本的には看護師の依頼を受けた形で、検査に連れて行ったり迎えに行ったりしていたが、時間がかぶると多い時は何人もの患者さんを同時に病棟につれて帰っていた。今でも車いす2台とストレッチャー1台を同時に運搬することができる。
洗い物も次から次に処置が終わったものがタンクに放り込まれるので、ひたすら洗い続けていたが、少し時間が空くとまた洗い物が増えていて、息つく暇もない。
一番驚いたのが、「尿測」といって患者さんの尿の量や比重を図る仕事があって、午後の決まった時間にそれを行う。自分でトイレに行けない患者さんはカテーテルに入った尿をカメに移して病棟をすべて回って回収する。そして基本的にはほとんどの患者さんの尿の量と比重を測るのである。
最初はちょっと躊躇したりしたものだが、このようなことは毎日やっているとあっという間に慣れてしまう。私は人に慣れるのには時間がかかる人間だったが、物事に慣れるのは早く、すぐに適応してしまう。そのうち尿が手に着いたり、しずくが顔に飛んだりしても気にしなくなった(ちゃんと洗ったけど)。
病院の中は、一見平和に見えても本当に日々色んな事が起きている。患者さんの生命を保ち、疾病を治癒させるために、実に様々なことが行われているのであるが、当然に健康体の私は、これを日常的に見ることはこれまでになかった現実だった。
こうして、朝から病院での仕事が始まり、夕方からはまた単純作業の別の仕事をやり、日曜日は便利屋で働く(土曜日の午前中も看護助手の仕事があったと記憶している)という生活がスタートした。そしてこの生活がおよそ3年の間続いたのである。
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