病院で働き始める
間奏曲―フリーターの時代―その12
自分のこれまでの人生を振り返ってみると、健康には本当に恵まれていて、大きな病気をしたことが一度もないことに気づく。
健康。
人間が当たり前に思っているこの状態は、決して当たり前のことではない。それに気がつくのはやはり病気になった時だろう。あるいは事故に遭って大けがをしたり、様々な原因でそんな状態になったりした時に、昨日まで当たり前に考えていたことが実に価値の高いものであることがわかる。
私は、これまでに病院に入院したことが三度あった。
大学1年の時にバイクに跳ね飛ばされてけがをしたとき(鹿児島時代)。
職場の送別会でお酒を飲みすぎてぶっ倒れ、そのまま運ばれて一日だけ入院した時(東京時代)。
頭痛がして病院にいったら「即入院」と言われて一週間くらい入院し(家族を呼ぶように言われたのでこれはヤバイと思ったが)、調べたら何ともなく、あっという間に復活した時(名古屋時代)。
病院とはほとんど縁のない生活をしていた私は、フリーターの時に、東京は港区の虎の門病院で働くことにした。
なぜ病院で仕事をしようと思ったのか。私にとっては、日常では見ることのなかった福祉バスの添乗員の仕事を経て、まだ知らなければならない世界があるのだと感じていたのだろう。
虎の門病院は大きな総合病院なので、各フロアには多くのスタッフがいて、その中で「看護助手」という仕事がある。私はこの仕事をすることになったのである。
当時は景気も良く、働き手が不足していたのだろう。求人の広告を見て応募し。面接を受けたら、すぐに採用がきまった。もちろん正社員ではなくアルバイトである(正社員の看護助手の制度もあった)。
病人の世話など皆目したことのない私が、医者や看護師の手伝いをしながら、患者さんに接する仕事をすることになった。
ここで学んだことは非常に多かった。数多くの人々との出会いがあり、人の生き様や死にざまをたくさん見た。
人生観が大きく変わったことと、自分がこれまでいかに恵まれていたかを実感した。
病気について、老いることについて、死ぬことについて、生きることについて。
やがては教育に関わる仕事をすることになるだろうと思ってはいたが、その前にこのような仕事をさせてもらえたことが、大きな財産になった。
私はこの病院の仕事を3年ほど行なった後、専門学校の教員となり、多くの学生たちにこの病院での経験を語ることになったから、やはり必要なプロセスだったのだろう。
毎日の忙しい仕事の細部に、自分に対する多くのメッセージが隠されていた。
それをつかむことができる程度に、まだこの当時の私は感受性が豊かだったのだと思う。
虎の門病院のスタッフはみんな親切でいい人が多かったし、若い看護師たちも大変な環境の中で一生懸命に働いていた。病院の現場がこんなに大変なのかということもわかった。
私にとっては、自分が健康であるがゆえに、病院で人の世話ができるということ自体も、実は幸せなことだったのだ。
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