独学が全てである
大学には、一応専門というのがあって、それは確かに高校よりはより専門的ではあるのだが、専門を学んだなどと言えるレベルには程遠いのが現状だ。
いわば、大学での学びは、広い学問領域の教養的な水準の一分野を学んだというレベルに過ぎない。
専門の世界は広く深い。
だから、結局その後の独学や自学が大きな意味を持ってくる。
日本では大学で学んだ専門を、仕事で活かしている人間などほとんどいないのではないだろうか。
学ぶというのは基本的には全てが自習であり、独学である。
教わることなんかほとんどは一部であって、大方は独学にかかっている。
自分で興味をもち学び続ける。
その姿勢がなければ、大学の時期を(場合によっては受験の時期を)ピークとして、学力や知力が衰える一方であるという人間となる。
情けないことだが、日本では社会人でも読書を習慣とする人は非常に少ない。
知性の低い人間が現実には多数輩出されているのだ。
そして自分の仕事だけの知識や技能、知力の水準で職を全うし、なんとか食べていけるレベルを維持している、という現状がある。
しかし、国民の知力が低く狭いと、その国は基本的には没落していく。
独学で学ぶ意欲や風潮のない社会は荒廃の憂き目を見る。
他人に教えを乞うことはいいが、最後は自分の学ぶ意欲だ。
「独学の力」こそが、その人を自立させ、社会を自立させ、国家の自立につながる道なのだ。
勉強するということを、受験のため、資格の取得のため、だとしか考えられない愚かな人間にはならないで欲しい。
学びの世界は広く深い。教養の世界は無限だ。
だからどこに行っても、独学する姿勢を忘れないで欲しい。
学生時代には、この「独学力」を身につけるべきである。
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