民主制は素晴らしい制度ですか?
政治制度に関しては、中学や高校でも学んだことだろう。
ニュースでも誰かが独裁的だ、ということでよく色んな政治家が批判されたりしている。
そこにあるのは、独裁はよくない、民主制こそ素晴らしい制度なのだという意識だろう。
そして今、日本を含めて、世界の多くの国は民主制であり、選挙によって選ばれる議員や指導者が政治の中心を担っている。
民主制が素晴らしいとか、進んだ近代的な政治制度だと考えている人間は多いかもしれないが、必ずしもそうではないことは知っておかなければならない。決して手放しで賞賛できるような制度ではないのだ。
少し考えればわかることだが、この民主制が正常に機能するためには、実は多くの条件が必要であり、日本ではその条件のほとんどが満たされない現状があるのである。その阻害要因を挙げてみよう。
1 そもそも多くの有権者が選挙に行かない。
多くの選挙では少ない時は30%程度、多くても60%程度の有権者しか投票しない。
2 国民が本当のことを知る、知る権利が阻害されている。
政治や行政は、都合の悪い情報を開示しない。責任を問われることを避ける。
3 国民が政治的なことに関心を持たない。政治的無関心である。
日常の生活や目先の楽しみに心を奪われて、主権者たる自覚が薄い。政治に無関心な人はいても、政治と無関係な人はいないのだが、そのような公的意識が希薄化している。
4 メディアを通じて、意図的に偏った情報が流されている。
メディアにはスポンサーがついている。その企業のにとって都合の悪い情報は決して流さない。また意図的にプロパガンダを駆使して国民を洗脳することも少なくない。
この4つの阻害要因を払しょくして、民主制を正常に機能させることは、非常に難しい。しかし、これがなされなければ、国政は容易に一部の人間にコントロールされ、多くの国民の利益は失われていく。
これを正常化させるためには、国民が政治の在り方に関心を持ち、政治や経済、社会に関することを学び、実際にふさわしい代表を選ぶ見識を有することが必要である。またマスコミの嘘を見抜き、プロパガンダに騙されない知性や教養も必要だ。さらに自分の目先の楽しみやお金などに左右されない理念や理想がなければならない。
これらのことを、国民の全てに要求することはかなりの困難であることはわかるだろう。
民主制とはかくもめんどくさいシステムなのである。
しかし、それは1人1人を平等の人間として認め、平等の参政権を与え、一人一人の成長とともに国政が成長していくことをも意味し、期待されているのである。
だから、主権者である国民には、学び続けることや知り続けること、必要な行動をとり続けることが求められる制度なのだ。
政治に参加するということは、その意味では、決して権利ではない。全ての人が自分たちの国の在り方に責任を持つという義務なのである。この義務を放棄している国民が多数を占める国は、滅びに至るしかない。
どうか、この価値ある義務を果たし、高貴なる義務に目覚めて欲しい。
些細な学びや行動に目を向けて欲しい。自分たちの国の在り方や社会の在り方を考えて欲しい。そこにささやかな時間でもいい、自ら参加して欲しいのだ。
多くの政治に無関心な学生たちに、この話を伝えて欲しい。
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