極端な考えや行動をやめる
学生と面談をしていると、周りに気を遣い過ぎたり、周りの意見を聴きすぎたりして、自分の意見を言えないとか、自分を出せないで周囲に合わせてしまうという学生が多いことに気づく。
極端に他人中心になっていて、バランスを失っているわけだ。
極端に他人中心になったり、極端に自分中心になったりすることは、自分も他人も幸せにしない道だ。
またそれは自分個人についてもそうだ。考えすぎてしまうと行動力が失われ、考えないでいると情報や状況に振り回される。
偉人が、中庸や中道と言ったのは、このように極端に流れてしまう考え方や行動を戒めたからである。
自分をいつもチェックして、極端な自分になってはいないか、行動や精神のバランスを失ってはいないかを振り返ろう。
極端な考えや行動が必要な場面も現実には存在する。いつも極端なことが悪いわけではない。
それは、その極端な考えや行動を手段として使う必要がある場合である。
例えば、誰かが本当に困っていて、手助けをしなければ危機的状況にあるとき。そのような時は、自分のことなどさておいて相手中心の行動が必要である。
自分がピンチにあるときはどうか。そのような時にも、極端な行動は必要だ。自分を失わないためには自分中心で、自分だけのことを考えて行動しなければならないこともある。
つまり、極端な考え方や行動は、まさに極端な状況に応じて道具としてプラグマティックに使っていくものである。だから神様は人間に極端なことをする自由をも与えられたのである。
ただ、普通は人間が極端な行動をとるとき、それは感情に任せた行動であったり、利害や欲得のための行動であったりすることがほとんどだ。
だから、これが習慣化して固定化し、習い性になると、必ず不幸をもたらすことになる。
物事がうまくいかないとき、人間関係がうまくいかないとき、心が苦しく、自分が幸せを感じられないとき。
自分の心や行動がバランスを失い、極端な自分になってはいないか、確認しよう。
考え方や行動、他人に対する接し方。自分ばかりを責めていないか、逆に他人ばかりを責めていないか。
その両極端な考えや行動が是正されれば、あなたは幸せになる道に入ることができる。
その道を、まっすぐに歩んでいこう。
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