普通の幸せを求め、広げよう
普通の、当たり前の幸せとは、あなたにとって何か。
幸せになるために、特別なことは必要だろうか。
例えば、江戸時代に日本を訪れた外国人は、子供たちの幸せそうな様子に驚嘆する。
確かに貧しく、豊かとはいえない生活をしている。
しかし、人々は底抜けに明るい、と。
もちろん、日本にも様々な人がいただろう。だからこれが当時の全ての日本人を表現しているわけではない。
しかし、ただ一つ言えるのは、この時代の人々が、今よりも決して豊かではなかったのにもかかわらず、それなりの幸せを享受していたということだ。
その秘密は単純な事実に関わる。
それは、かつての日本人は「足ることを知る」精神を有していたからである。そして同時に、周囲の人間との「共同性」を有していたからなのだ。
今は、間違いなく飽食の時代ではあり、経済や物質の面で江戸時代よりも豊かであることを否定する人はいないだろう。
しかし、欲望はとどまることを知らず、人間は共同性を失って、個々になった。
普通に食事ができて、普通に周りの人と楽しく暮らすことでは満足できない人が増えたのだ。
お金のかからない幸せや、自然の中に遊ぶ幸せ、家族や友人が健康で今日も笑顔で共に過ごせる幸せ。
自分にとっては、この幸せで満足しよう。
もっと、お金が欲しいとか、豪華な食事がしたいとか、衣類や住居も派手で豪華なものがいいとか、もっと認められたいとか、有名になりたいとか、褒められたいとか、人の上に立ちたいとか、そんなものなどなくても、幸せに生きられる世界を、まずは実現しよう。
難しいことではない。それはあなたの心にかかっている。
しかし、無欲の大欲、という言葉があるように、あなたが無欲であることは同時に、社会や国家、世界に対してその当たり前の幸せを広げることには貪欲であり、大欲をもって生きることでなければならない。
自分が当たり前で普通の幸せを手にしたら、今度はそのような幸せを多くの人々が享受できるように、大きな欲をもって生活し、仕事をし、努力をしよう。
当たり前の世界を、当たり前に実現し、普通の幸せを、全ての人に与えることは、とてつもなく大きな大きな仕事である。
身近な、たった一人に対して、それを始めてみよう。それが人の間で生きる人間の、大切な仕事なのだ。
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