明治大学で考え続けたこと
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その54
私が大学院に通っていたころの明治大学は男っぽいイメージがあった。
それにまだ学生運動みたいなことをやっている人がいて、学内での活動もそれなりに活発だったように記憶している(今では女子も含めて人気の大学となっているようだ)。
それでも大学院には学者っぽい人がたくさん集まっていて、それなりにアカデミックな雰囲気があったものだ。学問が好きだという人が周りにはたくさんいた。
なにぶん当時は景気も良くて、無理に就職しなくてもいいような雰囲気もあり、大学院の博士課程などで何年も大学院に残ったり、将来の就職など何も考えずに学問を楽しんだりしている人もいた。
その意味では、食べるためにあくせく働かなくてもいいというようなムードは、学問的な世界に浸るにはとても大切であるようにも思う。食うために学問をするとか、学問に没頭する人が食えない世界は、やはり貧しいのである。
景気が悪くなり、就職が厳しくなり、食べていくために必死で働いたり、将来に不安を抱えたりしているようでは、なかなか学問の世界に入れないというのも確かなことだろう。
明治大学で学んだのは2年という短い期間だったが、自由な立場で色々な経験をすることもできた。決して裕福ではなかったが、奨学金とアルバイトで稼いだお金で、学問的には裕福な環境にあったと言える(もちろん生活水準は貧しかったが)。
それは当時の東京という場所が、多くの人が集まり、多くの情報が集まり、多くの変わった人が自由に生きていける環境があったからかもしれない。今もそうかもしれないが、当時と比べると日本という中心軸が失われてきているようにも思う。
フリーターのような生活をしながら、大学に聴講生として来ていて、そこで学んでいる学生や、社会人でありながら大学院生という人も少なからずいた。いろんなライフスタイルがあるものだと感じた。
田舎にいたころは、普通に大学を出て、会社に就職して、そこで一生勤めるものだという固定観念があったのだが、景気の良かった日の東京での多くの人の生き方は、本来、人生はもっと自由なものであるということを私に教えた。
人間は本来はもっと自由なんだよ、と。
多くの人がその道に進む、典型的な人生がある。
そこには安心や安定や、世間からの一定の評価もあるだろう。
しかし、やはり自分が納得する人生を生きるということを大切なこととして考えておいたほうがいい。何度も言うが、人間の本来の姿は自由であり、その生き方や生き様を誰からも束縛されないものだ。多くの人は人間自身が作り出したシステムに縛られているだけだともいえる。
しかし、実際にバブルがはじけ、日本は長期の景気の低迷に入り、ある意味では現在でもその後遺症は続いていて、多くの日本の大企業は没落の憂き目にあっている。日本人の所得が30年前と比較してもむしろ下がっている事実がそれを如実に物語る。
そんな時に、自分を支えるものは一体何なのかということを、考えざるをえなくなる。会社の名刺や肩書や立場などが、実にむなしいものであることもわかるだろう。
そして何より、年齢を重ねた後に定年し、組織を離れた自分となった時に、さてそれでもやるべきことを自分の中でつかんでいられるだろうか。
どんな時代に、どんな環境下で生きても、自分はこれをやりたい、これをやるべきだということを、ある種の使命感をともなって、見出せるだろうか。
その種子は、学生の時代、自由な時期にこそ考えることのできるものなのである。
固定観念を離れて、時間とお金と人間関係の自由があったとしたら、その中で一体自分は何をやりたいと考えるだろうか。
何をすることが、真の幸福だと考えるだろうか。
私は明治大学にいた2年間、このようなことを考えながら生活をしていた。
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