日本式革命の起こし方
「革命」などというと、それを素晴らしいもの、かっこいいものなどと考える人もいる。
しかし、歴史の中で起こってきた様々な革命は、それほど人々を幸せにしただろうか。
歴史上有名な「フランス革命」。この実態がどのようなものであったのか、それは有名なバークの「フランス革命の省察」を読めばよくわかることである。
もちろん、改革や革命が必要なことはあるだろう。
これまでの体制ややり方に不満をもった大衆がデモを行い、街で暴れたり、警察官ともみ合ったりする。これはしかし、改革や革命とは何の関係もない行動である。
ストを行い、仕事を放棄して社会が機能しないようにする。多くの人に迷惑をかけて、混乱に乗じて盗みや暴行がはびこる。これを必要悪だと思う人もいるかもしれないが、このような行動は現代の革命には全く必要でない。それどころか有害でしかない(現在、フランスにおいて年金改革法案が原因でこれに類することが起こっている)。
もちろん平穏なデモやストライキ、そして言論の力を使った主張は認められるべきであり、それは憲法でも保障されている権利だ。
ただ、正しい革命のために最も必要なこと。
それは正しい知識や見識を身につけること。それにより自分の意識を変えて、自分の行動を変えていくこと。そしてそこで得た知見や意見を、多くの人に発信、共有すること。さらには、具体的な投票行動に結びつけることである。
幸いにして、現代では個人においてもそれができる環境が整っている。
国民の多くが、高い公共心を持ち、社会に対する興味や関心を忘れず、政治や行政に対する監視を怠らない。自分たちが選んだ代表(政治家)がそして、公務員という私たちの僕(しもべ)が、私たちの意にそぐわないことを勝手にやっていないか、絶えずチェックすることだ。
そしてそれをしないのであれば、完全な白紙委任(丸投げ)。
何をされても文句の言えない状況になる。日本が多くの人が政治や社会に対する興味を失い、自分たちが主人であるという自覚を忘れ、政治家や公務員に白紙委任している状態、これが今の日本である。
日本人は「お上(おかみ)」などと言う意識を捨てなければならない。お上は実は自分たち自身なのだ、ということを強く自覚することだ。
そして現状を変えたいのであれば、事実や現実を正しく知り、そこから今後どうあるべきかの見識を磨く、それを託せる政治家や公務員を育てる、そのような意識や行動が不可欠なのだ。
「お上」(国民)には強い責任と、自覚が必要である。
日本にはある種の革命が必要である。しかし、それは「お上」(国民)が自分たちがやるべき責務をしっかりと果たすこと。ただそれだけでそれは実現を見るのである。
最も大きな権力をもつお上(国民)が、その機能を十分に果たすことができれば、静かな革命は、全く犠牲など伴うことなく、成就するに違いない。
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