日本人のための憲法改正入門(10)

日本人のための憲法改正入門(10)

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今回は、日本国憲法のいわゆる基本原則とされる「基本的人権」について考えてみます。

人権を尊重しなければならないのは当然であり、権利獲得のための人類の歴史的営みは尊重されなければなりません。

問題はそのあり方や、その根拠です。

現憲法の人権規定の問題点を述べてみます。

まず、人権の根拠をどこに置くか、ということですが、人権は「人間が人間であることに由来する権利」であるといわれています。しかし、人間が何ゆえに尊いのか、それについては十分な根拠が述べられているとは言えません。

これについては欧米の「天賦人権説」という考え方をもう一度再認識しなければならないと思います。

人権は神に与えられたものであるという考え方です。そこには神に対する義務というものも前提にされていて、人権の暴走に対して一定の制限がかけられています。

天賦人権説の思想の中には、人間は神に対する信仰を基本として、神に対する義務を果たすがゆえに「人権」を賦与されているのだという謙虚な思想があります。

このような人間を超えた世界に人権の根拠を置くことは非常に重要であり、日本国憲法にはこのような人権規定の根拠にあたる部分が抜け落ちています。

すでに日本では人権が暴走している感があり、いわゆる「人権派」という人々は、人権を振りかざして、自分たちの義務を軽視し、人権を自分たちの都合の良い形で利用しています。

今の日本国憲法では、人権を振りかざして、権利の主張ばかりをするという人権の横暴に、歯止めをかけることはできません(公共の福祉という言葉で制限をかけるといっても、それは結局不当に自由を制限する方向に解釈されていくでしょう)。

日本国憲法の人権規定の根拠には、このような人権の行使に一定の節度を持たせるための規定を入れていべきだろうと思います。またそれによってこそ、本当の意味での人権の不可侵性、神聖性も出てくるのです。

人権の根拠には宗教や歴史などを踏まえた倫理規定が必要なのです(憲法の中に一定の思想や倫理規定などを入れるべきではないという憲法学者も多いのですが、それは国家の基本法としての憲法の本質を理解していないことの表れです)。

このあたりは、日本の古来からの歴史や宗教を加味して、あらたな日本独自の人権体系を作るべきだと思います。

また、人権に関してはもう一つ大切な問題があります。

現在の憲法の人権規定は、人権カタログ的に様々な人権が横並びに規定されています。

しかし、私はもう一度この人権規定を「自由権」というものを基本として再構成し直すべきであると思うのです(人権にも価値の序列があります、ということです)。

基本的人権の出発点は、そもそも国家権力からの自由というものが基本にあったはずです。そしてその自由を支えるため、そして自由を実効たらしめるために「社会権」などの人権が出てきているのです。

これが現在ではその優先順位が混乱し、社会権や生存権というものを根拠にして「自由権」が広く侵害される結果になっています。

これは平等を主張する人が「機会の平等」ではなく「結果の平等」を求めすぎることになどにすでに表れている問題でもありますが、あくまでも人権規定は「自由権」を中心としたものでなければならないと思います。

そして、すでに述べたように、人間が自由であるべき根拠も、きちんと示されるべきです(そのためには人間とは何かという、基本的な人間観がどうしても必要です)。

平等権の問題は「機会の平等」という観点から「自由権」の中に吸収することができます。機会の平等ということは誰にも対しても同等のチャンスが用意されているということですから、実質的には自由が保障されているということです。

もちろん自由権すら行使できない極限状況の人に、一定の前提を準備するという意味での社会権や生存権はなんらかの形で準備されなければなりません。しかし、それがあまりにも人権の前面に出てくることは避けなければならないのです。

自由というものが基本にあってこそ、人間は自分らしく個性を発揮して幸せに生きていくことができます。また、それによって国家や社会の発展や成長もあるのです。「国家からの自由」や「国家への自由」はあっても、「国家による自由」というものはそもそも論理矛盾であり、緊急避難の例外的なものであると考えなければなりません。

その意味では安易な緊急事態の権利制限や国家による統制は避けるべきです。

このような人権のあり方が国民に受け入れられるためには福澤諭吉が述べたような「一身独立して一国独立す」という気概が国民に存在していなければなりませんし、現在のように国家に依存し、自分の生存を国家に委ねるような国民が多くなってはいけません。

日本が独立の気概を持ち、世界の人々の幸福に貢献できるような国家となるためには、現在の憲法の人権規定のあり方から見直さなければならないのです。

そして何よりも、国民が自主独立、独立自尊の精神を有していなければなりません。自分たちの運命を国家にゆだねて、不幸になれば国家に不満を言うだけの国民では、到底本当の意味での民主主義に耐えられないでしょう。

以上、人権に関しては個々の人権のあり方に関して、述べるべきことは多々あるのですが、基本的な問題点だけ述べておきました。

次回は「平和主義」に関して、その問題点を述べることにします。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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