政治的なものについて
日本人は政治的なものについて議論することが苦手である。
というよりも、価値観が明確に分かれることについて議論することができない。
敵か味方か、白か黒か、好きか嫌いか、というように二分法でしかとらえないから、異なる価値観を持つ人とは距離を置くか、その違いを前提に話ができない人が多い。
また、政治的なものは、話題にしてはいけないものの一つになっている。
しかし、学生時代にはこのような政治的な思想や意見がどのような背景や根拠をもって主張されているのかを知ることが非常に重要である。
仮に自分がどのような意見を持ったにしても、それ以外の意見や考えの根拠を学ぶことはできるはずである。
また、そのような政治的なものについて考えることができない、それをしないというのであれば、もはや主権者とは呼べまい。
日本にはもはや主権を放棄した国民が数多くいる。
社会や国家や世界がどうなろうと、そのなかで自分(達)だけができるだけ安泰に楽しく暮らせたらいいと思っているのである。
政治的なものについて、もっと考えて、それに対する一定の見識や意見を持つことが求められており、またそれを前提に、意見が違う人とも健全な議論ができる人材が必要だ。
政治的なものとは、同時代に生きるヨコの人間のつながりについて考えることであると同時に、過去から未来についてつながるタテのつながりについて考えることでもある。
このタテとヨコのつながりを失えば、人間は自分だけの限りなく狭い世界を生きることになってしまう。
そしてそのような人間ばかりになってしまえば、「今だけ、ここだけ、自分だけ」の価値観がまん延し、社会や国家は崩壊に向かう。
今だけでない世界
ここだけでない世界
自分だけでない世界
それを探求するために行くのが大学である。
学生が学ぶべきことを、決して忘れてはならない。
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