政治の世界を垣間見る
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その55
大学院の時代には、便利屋でのアルバイトを中心に何とか金銭的な面はカバーしながら、そして奨学金を利用して乗り切った。
明治大学のあるお茶の水の駅の近辺には、古本屋もたくさんあり、本を買うにも不便は全くなかった。
苦労したのは修士論文の作成で、これはテーマを決めることが一番難しかった。
なにぶん、栗本慎一郎先生から教わりたくて法社会学のゼミを選んだわけだが、当時はいろんな分野の本を学際的に読んでいたので、研究したいと思うテーマが、どんどん広がっていった。
大学院に行く前に、栗本先生と面談した際「大学院ではとにかく重箱の隅をつつくような研究が必要で、それをやらなければ研究者としては通用しない」ということを忠告されていた。
確かにそうだろうと思うし、それが研究者なのだろう。
あるテーマで論文を書こうと決めて、書籍や資料を読んでいると、あれこれと別のテーマや問題点が出てきてそちらを調べたくなり、そうしているうちにとりとめなくなってしまうということを何度も経験した(これは私の性格的なものもあるかもしれない)。
結局私が書いた論文のテーマは「著作権と個性」について、というもので、自分としては絞りに絞って書いたつもりであったが、やはりそれでも不本意な感じがしたのを今でも憶えている。
論文は無事に審査を通過して、修士号の学位を取得し、明治大学での2年間はあっという間に終わった。
大学院の時代には明治大学の中だけではなく、いろいろな出会いがあったが、同じ大学院に聴講生として来ていた友人に誘われて政治の世界にも足を踏み入れた。
永田町に何度も通って、学生時代に政治活動を経験したのである。
私自身は政治的にはそれほどの考え方を持っていたわけではなく(政治思想には関心があった)、中立的な立場でそのような現象を見ていた。
ただ、実際に具体的にそのような世界に足を踏み入れてみて、学者がいうような中立という立場を疑うようにはなっていった。
高円寺の私の狭い部屋に明治大学で知り合ったMさんが訪ねてきたのは、いつだったろう。私に、自由民主党の学生部に入らないかと誘ってきたのである。
私はこのMさんのことは大好きで、東京に出てきて大学でも本当にお世話になっていた。私よりも2つ年上で、学問や政治経済に関心の強い人であった。
また、私の世界を広げてくれて、たくさんの友人たちを紹介してくれた。
ただ、最初に誘われた時は、少し躊躇したのは事実であった。ただいろいろと話をしているうちに、おもしろそうだと思い始めて、結局参加することになった。
「政治」というものについて考えるようになったのは、この時の経験が大きかった。
私はあまりいろんなことに偏見を持たずに飛び込んでみるということをモットーにしていたので、何でも経験だと思って、やってみることにしたのである。
選挙の手伝いや議員の秘書的な仕事、そして政治家(国会議員)を呼んでの講演会などの企画など、勉強になることがたくさんあった。
学問の世界と政治の世界について考えたのも、この時からである(この時にマックスウェーバーの「職業としての学問」「職業としての政治」の2冊をきちんと読んだ)。民主主義の実際について、政治制度について、保守とか革新について。色々なことを考える機会を与えてもらった。
今から思えば本当によかったと思っているし、あのころの経験は今でも忘れていない。
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