意味と生命
人間は、何らかの自分固有の意味を内包して、この世界に命を授かる。
人生に意味がないという人は、この肉体に包まれた固有の意味を、閉ざされたままに人生を送る人のことだ。
しかし、それに気がついて、その意味をつかみ、それをこの世界で表現したり具体化する人もいる。
「幸せ者」と呼ばれるべきはこのような人のことである。
しかし、どのような人生を生きてもそれは自由であり、自分で自分の人生を無意味であると決めつけて生きることも可能だ。
そのように生きても可能な仕組みになっている。
内包された意味を発芽させ、開花させるかどうかの全てが、その人自身にかかっているから、どのような生き方をしても自由なのだ。
その意味では、厳しい世界ではある。
自分固有の意味があるのだと、信じてそれを求めなければ、それを得ることは決してできない。
意味など最初からないと決めていれば、それを求めることなどできないわけである。
どちらを選ぶのか。
それを求めるか求めないか。
それは命の根本を問うことでもあるのだ。
意味と生命は同一のものであるが、それを求めないで生きることは命を活かさないということでもある。
その選択はすでに始まっており、その選択は日々問われている。そしてこれからも問われ続ける。
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