思考するからこそ人間
人間の本質は思考するエネルギー体である。
人間は思考力によって様々なものを具体化し、創造することができる。
しかし、現在、社会も国家も、人間の思考力を奪う方向に進んでいる。
これが何を意味しているのか、よくよく考えてみて欲しい。
一見、便利で快適に思える世界の中には、そのような罠が潜んでいるのだ。
その典型的な例が、言葉に関する統制である。
言葉を使ってしか人間は思考できない。だから言語が不自由であれば、それは思考が不自由であるということだ。
今や、平等や差別や人権などを盾にして、自由な言論や表現が大きく制限されつつある。
社会において言葉狩りが行われ、些細な言葉や表現がやり玉にあがり、沈黙を強いられる。
そして、メディアの力で、全体主義的な空気を作り出し、一定の表現や発言を許さない世界を作り出す。
挙句の果ては、マスメディアだけでなく、SNSなどのネットの世界でも言論統制の嵐だ。
また、政治家は国民に心地のいいスローガンを掲げて連呼する。これを信じて自分で考えない国民は多い。
人間の思考は内面にある限り自由である。内面の自由は本人が手放さなければ、絶対に失われることはない。
だからこの自由を決して手放してはならない。
だから自分で考える。
そしてこの思考力を強化し、精密なものにし、より創造的なものにしなければならない。
そのためには考え続けることだ。思考することをやめないことだ。自分について、他人について、社会や世界について考え続けることである。
学生時代に、この思考する力を強化することを怠ることなく、努力を続けること。
思考するエネルギーを解放し、人間の持つ最も尊き力を大切にすること。
思考するエネルギーは人間が持つ最も重要な力であり、全てを変え得る最強の力である。
これを放棄することは、人間であることを放棄することに等しい。
人間性を磨くということは、この思考力を磨くということなのである。
自分というものは思考するエネルギーそのものであることを決して忘れてはならない。
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