古本屋
学生時代は金銭的には豊かではないものだが、私の場合精神的には豊かだった。
好きな本を読んで、心の世界を広げる。
ニュースでは最近の若者は本を読まないということだが、これだけ多くの出版物が世の中に出回り、自分が物理的に出会うことのできない人からも色んなことを教えてもらえる道具は他にはないだろう。
信じられないことだが、何千年も前に地上に生きて私たちと同じように悩みながら人生を切り開いていった先人たちの言葉を読むことができる。
私は本屋や古本屋には良く通った。
今はインターネットでどこにいても新刊から古書まで取り寄せることができるが、当時は古本屋に出かけることで安くて有用な情報を手に入れていた。
明治大学の近くには古本屋が軒を連ねていた。

休日には一日中そこで本を探した。安価で手に入るものが多く、通常の本屋よりも頻繁に利用していた。
いつか自分でも古本屋の経営でもやろうかと思ったくらいだ。
自分の周囲にも本を読む人が多かったので、実に色々なことを本からそして人から学ぶことができた。
音声や映像という伝達手段が発達してきているが、本の価値は低くはならないだろう。本屋が減少したり、かつてあった古本屋がなくなったりすると、非常な寂しさを覚える。
活字から離れることは本当に価値あるものの多くを自ら手放しているに等しい。
読書は単に情報を得るための手段ではなく、著者との対話、そして自分との対話の機会でもあるからだ。
読書で心を開拓して豊かなものにする。その豊かさは自分が幸せになるための数々の材料を呼び込むだろう。
Share this content:
コメントを残す