受験と人生
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その24
私は大学に入学するにあたって、当時の共通一次試験の点数が足りなかったので、結果的には第二志望の大学(鹿児島大学)に入学した。
入学試験で満足のいく結果が出せなくて失望している人、自分の希望の大学に落ちてしまって、絶望的な気持ちになっている人、受験の時期には受験結果をめぐって、色んなドラマがあることだろう。
しかし、受験の結果と人生の成功はほとんど比例関係にない、ということだけは確かなことだ。
だから受験の失敗なんかでくじけることは全くない。
入学する学校の名前や学部で自分の人生が「本当の意味で」大きく左右されることなんかないのだ。
ただ、受験までは試験が全てであるという気持ちで、本気で取り組まなければならない。その本気の努力のプロセスの中に大きな学びがあるからだ。その意味で受験が絶対であると思って、本気で勉強すべきだ。
ただ、結果が出たら、別にどのような結果であっても、それを肯定的に受け止めて欲しい。結果が出てしまったら、その結果をあっさりと相対化してしまうのだ。
合格する中にも、合格しない中にも、あなたの道を指し示すものがある。
合格しても、合格しなくても、生きていく道程において、それは正解なのだ。
私は結果的に第二志望の大学に行った、と述べたが、その大学でたくさんの出会いがあり、たくさんの学びがあり、たくさんの経験があった。第一志望の大学に行っていたら得られなかったものかもしれない。
もちろん第一志望の大学に行ったら、そこでも数多くの出会いや学びがあったことだろう。
しかし、そのどちらが正しかったとか、どちらの価値が高かったとか、そんなことはないのである。もちろん比較のしようもない。
行くところ行くところ、その場の価値を決めていくのはほかならぬ自分自身であり、自分の努力であり、自分の心構えである。
だから試験の結果などに後悔する事など必要ない。
自分自身に開かれた扉を、たとえそれが自分にとって第一志望の扉でなかったとしても、思い切って開いて、その先の世界で、一体自分は何をつかめるのか、何をつかみたいのか、について考えよう。
自分がその場をベストの場所にするのだと決意しよう。
自分が心からやりたいことがあるのなら、一定の時を経て、必ずそれは実現していくものである。回り道に見えることが近道。これが人生における逆説でもある。
それを信じて、試験で落ちたその日から、あるいは、合格したその日から、また努力を始める気持ちを持ちたいものだ。
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