何故、今日本なのか(3)
私が住んでいる東京都の大田区には、大森という地名がある。
ここに「大森貝塚」というものがあり、その貝塚を発見したといわれるのが、アメリカのモースという人物だ。
アメリカの動物学者であり、1877年、研究のために来日した。
そのモースが日本人について、以下のように述べている。
「外国人は日本に数か月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。彼は、日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにもっているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・・・これらは恵まれた階級の人々ばかりではなく、最も貧しい人々も持っている特質である」
モースは日本人の道徳心の高さに驚き、これを称賛している。
西洋人が日本に来るときに、遅れた国日本に、何事かの高い道徳心を教えてやろうという気持ちをもってくるのかもしれないが、日本人は、それを生まれながらにもっているかのようだ、と言っているわけだ。
もちろん、生まれつき道徳心が備わっている人間はいないから、日本人の日常的な家庭生活や地域での共同体での生活、そして教育の中でそのような心が育っているわけである。
今の偏差値や学力や学歴などを必死で身につけさせようとする教育には決してない、日常の中での高貴な教育がすでに行われていたのである。
豊かであっても、そうでなくても、人として高貴であれ、というのが日本人の教育の根底には横たわっていた。
お金や物を置きっぱなしにしても、誰もそれを盗まない。「盗み」が全くないことにモースは驚くのである。
日本では今でも、財布を落としても、そのままの形で帰ってくる奇跡的な国である。もちろん最近では中身を抜き取られるケースもあるだろうが、まだ多くの場合はそのまま返ってくるだろう。
また、遅い時間に子供たちが街を歩いていても、犯罪に巻き込まれることはまれである。
このような道徳的美風は、決して失ってはならない。そして日本を訪れる多くの外国人が、その美風に触れて感化されることを望みたい。
世界が、「今だけ、金だけ、自分だけ」の地獄の闇に沈もうとするとき、これを救うことができるのは、日本のような国である。
だからこそ、日本は滅びの門をくぐってはならないし、強い国家になる必要があるのだ。
そして、このような道徳的美風を維持し、それを世界に発信する使命があることを、日本人は決して忘れてはならない。
模範は外国にあるのではない。古き日本にある。まずは、その日本の持つ古くからの美風を日本人が学び、発掘し、現代によみがえらせなければならない。
だから、今、日本なのだ。
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