他人を経験する
私の学生時代には、たくさんの本を読んだが、大学の後半には本当によく遊んだとも思う。
とはいっても、昭和の時代の話だ。
今もそうかもしれないが、時間はあるが、金はないし、そうなると遊びは限られてくる。
私の遊びは単純で、誰かと一緒に過ごす、ということだった。
3つものサークルに所属していたが、特に「ショパンの会」というピアノのサークルと、「コミュニケーション研究会」というミニコミ誌をつくるサークルではメンバーがたくさんいたから、そのメンバーと過ごしたのである。
当時は、スマホもなくゲームや動画を観るということもない。
そんなツールはない時代だったし、私の部屋には電話すらなかった。テレビすらなかった(今はテレビなんてそもそも不要だと思うが)。
私の遊びは誰かと一緒に時間を過ごすこと。
サークルの部室で夜が明けるまでしゃべり続ける。
外で飲み会をやって、ワイワイやる。
これだけが遊びの全てと言えば全てだった。金がないから飲み会は頻繁にできるわけではなかったから、その場合は部屋に来てもらったり大学内の施設で騒いだり。
そこで出会った人間の数はかなり多かったと思うし、それも深い話をできた友人も多く、私の「人に対する経験値」はどんどん上がっていった。
これが将来とてつもない財産になることは、当時の私には予想できなかったが、私にとっての遊びとは「他人を経験すること」だったと言っていい。
今の学生は自分一人で遊べるツールがたくさんあって、それ自体は悪いことではない。
しかし、遊びの要素の中には「他人を経験する」ということが含まれていること。それを忘れないで欲しい。
自分以外の人間は自分と同じようなものも持っているし、全く違うものも持っている。生まれも、育ちも、考え方も、行動様式も違う。
一緒に過ごしたり、たくさん話すことで、他人を経験する。これが人間にとって最高の遊びではないか。
お金もいらない、何の飾りも衒いもいらない。ただみんなと一緒の時間を過ごす。バカな話もする、まじめな話もする。そんな最高の贅沢な時間を、学生時代にはたくさん持ってほしい。
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