人生の目的は楽しむこと、ではない
最近、色んな人の本を読んでいると、人生は楽しむためにあるのだとか、人生の目的は楽しむことである、などと書かれているものがあった。
私はこのような意見には全く反対である。
人生の目的は楽しむことではない。人間はただ楽しむために生まれてくるのではない。
これが私の考えだ。
人生では実に色んな経験をする。楽しいこともある、悲しいことも、つらいこと、残念なこと、死にたくなること、全てが含まれていてもそれが意義のある人生でなければならない。
人間が楽しむことや愉快なことを人生の目的とすることは、実は幸せに生きることとは言えない。
「楽しければいい」「面白ければいい」という安易な考えは、人間が生きていく上で遭遇する様々な人間の深淵に蓋をすることになり、貴重な人生の果実を取りこぼすことになるのだと、私には思える。
人間はこの不自由な世界の中で、幸せを求めるものであるが、不自由であることに意味があり、これをいかに脱しつつ、自分を表現していくのかが求められている。
そして不自由であるという環境もまた、自分の個性や人生観、世界観を磨くための貴重な材料になっている。
私の人生観はいたってシンプルだ。自分を磨き、自分らしい光で他人の人生や社会や世界を照らすこと。いい影響をたくさん受けて、たくさん与えること。
そこに楽しいかどうか、愉快であるかどうかという、感情は直接関係がない。
もちろん生きていくプロセスの中で、そのような感情や気持ちに満ちた生活が送れた方がいいが、それは目的ではないのである。
相対的で不自由な世界の中で、人間が一定期間、存在を許されている理由は、そこで何を学び、何を人に教えるのか。どんな影響を受けて、どんな影響を与えるのか。どれだけ成長できて、どれだけ他人や社会の成長に寄与したか。
そのテストのための人生であると思える。
楽しくテストを受けることもできるが、テストの目的は楽しみを与えることではない。人生の成果が、測られているのである。
テストに真剣に向き合うことが、結果的に人生を楽しくするのである。
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