人生の次の階段をつくるもの
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その26
卒業式のシーズンになると、人生は一つの時期が終わり、また次の世界へ移行していく。
多くの学生達が新しい道を歩み、4月からは新たな出発をなしていく。
私は24歳で大学院の修士課程を修了した。博士課程の試験には落ちてしまって、結局フリーターになった。
昨今の就職事情からすれば、この年齢でもフリーターになったり、就職浪人したり、不本意な道を歩んでいく人も無数にいるに違いない。
私のフリーター生活は、4年間に及んだ。この4年間はバブルがはじけて、日本が急激な不況に落ちていく時期と一致していた。ただ、大学院を修了した当初は、まだそれほど経済は悪化していなかったし、アルバイトもたくさんあった。だから、当初は完全に楽観視していたのかもしれなかった。
大学院の博士課程の試験に落ちた時に、自分の進むべき道が違っているのではないかと考えた。これまではたくさんの本を読み、自分なりに研究活動を行い、修士論文も書いた。
ただ大学の中にいて、自分はあまりにも世間知らずなところが多いこと、世界が狭いこと、様々なところで生きている人の生活や、感情や、気持ちをほとんど知らないことを自覚していた。
この段階で、私は学者や研究者への道を一旦あきらめ、自分の世界をもっと広げるためにたくさんの仕事をしようと思った。
就職先として、自分が生涯やるべき仕事は何なのか、それはわからなかったが、様々な仕事をしていく中で、何かが見つかるのではないかと思った。
4月からはアルバイトをしながら自分で生活をたてて、自分の道を考えていこう。
これから自分の人生がどうなっていくのか。
全く不安がなかったわけではない。
ただ、このときにとることのできた手段は、フリーターになる、ということだけだった。
自分が食べていくだけであれば、何の問題もない。
24歳にもなって、今後何年もフリーター生活を続けたとしたら、結婚もできないだろう。将来は全く見えない。
情けないことだが、社会人として立派にやっていけるという自信は全くなかった。
一体自分は何をやるために、何のために生まれてきたのだろう。
それでも今日も明日も食べていかなければならない。
私はとりあえず、学生時代にやっていたアルバイト先に電話をし、さっそくそこで働かせてもらうことにした。
その仕事は「便利屋」の仕事だった。ほとんどが肉体労働だったが、この時期の私には必要なものであった。
これまで本で学んだ知識が、全く通じない場所で、一体自分はどれくらいのことができるのか。
そしてその中でも、自分なりの必要な努力を続けていくことができるのか。
全てが試される時が始まったのだ。
今振り返って思うのは、仕事以外の時間を、勉強に充てていなかったら、今の自分は絶対になかった、ということだ。
ただ、アルバイトだけに明け暮れて、日々を食べるだけのために費やしていたら、次のステップは、絶対に訪れなかった。
結局、人間に次のステップを踏ませる存在は、自分だけであって、社会環境や他人ではない。
日々の時間の使い方、日々の習慣こそが、同時に次の階段を、自分自身で作っているのである。
これが、人生の真実であると思う。
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