人生の本道を歩むために

人生の本道を歩むために


間奏曲―フリーターの時代―その34

あと一週間ほどで、病院の仕事も終わることになった。
その週の週末に、病棟で看護婦(師)さんたちが送別会を開いてくれた。


婦長さんをはじめ、ほとんどの看護婦(師)さんが出席してくれた。
私に次々とお酒を注ぎにきてくれる病棟のスタッフをみて、本当にこの職場では様々な出会いがあったことを実感した。


ここにいる人はみんな一緒に働いてきた人たちだったが、病院には多くの患者さんもいる。すでに亡くなってしまった人も、元気で退院していった人も、本当に多くの人と出会ったと思う。


そして私はそのような方々に知らず知らずに教育されていたのだと思う。
私は臆病で気が小さく、引っ込み思案の人間だ。人見知りが激しく、初対面の人とはうまく話せない。
自分にも全く自信なんてなかった。進路もまともに決めきれず、頓挫して、また方向転換したり、ふらふらと頼りない人生を歩んできた。


しかし、この職場でみんなに頼りにされ、大切にしてもらい、自分でも一生懸命に働いたことで、大きな自信を得たのである。


自分のような人間でも他人の役に立つことができる。
自分が辞めることを、みんなが残念に思ってくれる。
「いつでも戻ってきてね」と。


この病院で学んだこと、経験して得たこと、患者さんの苦しみ、スタッフの悩み。
きっと次のステージで彼女たちから学んだことを最大限に生かしてみせる。彼女たちとの出会いを決して無駄にしない。


送別会の帰り、電車にゆられながら、私はそう誓った。人との出会いのすべてを、次の出会いに活かし、自分の成長とこれから出会うであろう人々の成長につなげる。

・・・・・・・久しぶりだった。
こんなに長い期間休めたのは。


フリーターとなってからはお盆も正月も仕事をした。だからほとんど休んだことがなかった。
少しでも仕事をしないと収入が減ってしまうという理由もあったが、実家に帰ってもフリーターとして帰っては肩身が狭いという理由もあった(もちろん両親は何も言わず迎え入れてはくれただろう)。
帰れない理由としては仕事をするのが一番良かったのだ。


就職が決まってから全てのアルバイトをやめて、正職員として気持ちを一本化しなければならない。
この一週間の間に私は今後予想される仕事に必要な知識を一生懸命に勉強した。


ここからが自分の人生の再出発。私は天職を得たのだ。この後の人生は、これまで得たことにさらに学びを加えて、いかに多くの学生の成長のために貢献していくか。


そして人間にとって大切な「本業がある」という喜びでいっぱいだった。
福沢諭吉は言っています。
「人間にとって一番淋しいことはする仕事のないことだ」と。
本業を得る、というのは人間の幸福にとってとても重要なことなのだ。


雇用の形態や給与、待遇だけが問題なのではない。「本業だ」といえるものを持つことが自信と幸福の源泉なのである。

こうして私は4年に渡るフリーター生活から脱出し、新たな道、自分にとっての本道を歩み始めることができた。28歳になったばかりの秋であった。

Share this content:

投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

すべての投稿を表示

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Proudly powered by WordPress | Theme: HoneyPress by SpiceThemes