「不安の哲学」 岸見一郎
「不安」という言葉で、私が最初に思い出すのは実存主義の哲学者キルケゴールの「不安の概念」という本だ。私も学生時代には実存主義の哲学に一時惹かれていたことがあり(今でも時々は読む)、キルケゴールの全集などを古本屋で買って読んでいた。
学生たちもおそらくは、自分の人生に不安を全く感じない人はいないだろうと思うのだが、では不安について真剣に向き合ったり、考えたりしている学生がいるかというと、それもそれほど多くはないだろう。不安というのは、漠然としていて、対象のないものだ。確かキルケゴールも恐怖と不安を分けて考えていたと思うが、恐怖は対象が明確だが、不安は漠然たるもので、これがまた不安の不安たるゆえんなのである。
この本には、不安についての分析や、人間が直面する様々な不安についての考察がなされていて、最後に不安に向き合うためのヒントが書かれている。特に不安について、哲学者の三木清や、心理学者のアドラーの考え方を頻繁に引用し、考察の材料としている。
私自身は不安というものを感じたのはフリーターだった頃だった。結局フリーターでも自分だけ食べていくことは不可能ではないのだが、将来に不安を感じていたのは事実であった。その不安の根源が何であったのか、と問われたらやはりよくわからないのである。日本では生活保護などがあり、飢え死にするリスクは低い。健康ならば何か仕事をすれば生きていけないことはない。なのに、何が不安だったのだろうと考えてみた。
若かったから、健康に対する不安はなかった。かなり無理はしていたが、健康の不安を感じたことはない。当時は景気も良くて、アルバイトは何でもあったから、生活には困らない。そう考えると不安になる要素はあまりないように思える。しかし、確かに漠然と不安だったのだ。
私にとっての不安の源泉は、よくよく考えると「この先、自分の命を自分らしく活かして、自分が納得する人生を生きることができるのか」ということだった。ただ生きていくだけなら不安はない。生活だって贅沢をしなければおそらくは飢えない。人間関係は普通で、色んな人間が周りにいたが、普通の人と変わらない環境だった。特に自分に悪意や敵愾心を持つ人間がいるわけでもなく、逆に自分のことを特に好きだと言ってくれる人がいるわけでもない。そんな環境だった。
ただ、将来の自分に私は期待していたのだ。しかし、それが成し遂げられるのか、それが不安だった。私は自分の期待に応えられるだろうか。私にとっては不安は自分の自分に対する期待の裏返しだったと言える。多くの人にとって、その不安の源泉を考えてみることは自分らしさを考えることに通じると思う。恐怖は確かに多くの人が共通に感じるものだが、不安はその人のまさに実存的な課題に内在している。そう考えると、不安について考えることは、自分の本質について考えることであるようにも思う。
この本には人間が直面する様々な不安についての項目がある。コロナによる不安。対人関係の不安。仕事の不安。病気の不安。老いの不安。死の不安。などである。私はこのいずれについても不安に感じたことはほとんどない。しかし、色々な不安の類型について考えさせられることは非常に多い本だった。私がこの本に挙げられているような色々な不安について、不安を感じないのは、おそらく私が「死」そのものを不安に感じていないからだと思う。まあ、今死んでもいいかな、とも思っているし、まだずっと生きたいとも思っている。この矛盾した気持ちが正直なところだ。
ただ、死ぬときに苦しかったり、痛かったりするのは怖い。これだけははっきりしているから、苦しくないように死にたい。そして痛くないように処置して欲しい。また、死に顔を人に見られるのは嫌だから、私が死んだら、顔にはパンダのお面をつけてくれるように家族には伝えたい(ちなみに福沢諭吉も生前に、自分の死に顔を見られるのは嫌だ、と言っていたらしい、それには激しく同意したい)。
不安というのは未来に対して感じるものだから、それが現実になってしまったら、もはや不安ではないだろう。その意味で、未来への漠然とした不安はやはり自分にとってはこれから果たして自分の期待に応えられるか、ということに尽きる。そのことが分かっただけでも、この本は私にとって有益で大きな価値があった。この不安はまだ私の中にはくすぶっているからだ。
学生は将来のこと、目の前のこと、不安なことがたくさんあるかもしれない。しかし、それは実はそれほど大した根拠などないものかもしれない。その不安の本質をよく見極めてみて欲しい。そうすることで、自分を掘り下げることができるし、自分の本質や使命が見えてくるかもしれない。不安がなければそれでいい。自分の心の赴くままに、生きてみることだ。
そして、やがてまたどこかで不安を感じることがあったとしたら、不安とは様々な期待や願望の裏返しではないか、ということを思い出して欲しい。そこにはまだ希望があるからだ。キルケゴールは「死に至る病とは絶望である」と言った。不安には期待と希望がある。だからそれは決して絶望ではないのである。
(BOOK OFFにて110円で購入)
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