ハチの巣退治の恐怖
間奏曲―フリーターの時代―その6
平日は毎日、福祉バスに乗って、冷や汗をかきながら仕事をしていた私だが、土日は、学生時代から続けていた便利屋での仕事があった。もう何年もやってきていたので、仕事には慣れたものの、とにかく新たな色んな依頼が舞い込むのが面白くもあり、毎回色んな技術が身に着いた。
一度だけであったが、ハチの巣退治の依頼を受けたことがあった。普通の民家の玄関にスズメバチが巣を作って、家の出入りに支障があるから駆除してくれというものだった。
便利屋の性で、頼まれたことは断らない。絶対にできないとは言わない、というルールにのっとり、社長と私の二人で駆除しに出かけたことがあった。
テレビなどで見ると、このような駆除はそれなりのプロがいて、我々のように蜂の素性に明るくない人間が手を出すべきものではないのだろうが、当然この仕事は受けることになったのである。
社長は楽観的で、殺虫剤(市販のやつ)と虫取りに使うような大きな網を準備していた。
我々の顔や体を守るものは何もない。これで大丈夫なのかと、思ったが社長は全く気にもしていないようだった。
依頼のあった民家に着くと玄関の屋根のところに大きなハチの巣があって、玄関のドアにも蜂が集まってきていた。家の人は裏口から出てきて、怖くて玄関が利用できないのだというのだ。確かにその通りで、蜂が大量に玄関に集結しつつあった。
私たちはまずはでかいハチの巣を叩き落し袋に入れてから、殺虫剤をぶっかけてぼこぼこにして始末した。
今度は玄関の扉に集まった蜂を上から網をかけて殺虫剤で殺す作戦に出た。扉の周辺にはブンブン蜂が飛びまくっている。
私が先に行って、網をかぶせ、その上から社長が殺虫剤をぶっかける作戦だった。
多少、嫌な予感がしたのだが、仕事だから仕方がない。依頼主は心配そうに家の中から私たちの様子をうかがっていた。
静かに蜂の塊に近づいて、私が上から網をかけた。その瞬間周りの蜂が騒ぎ出したので、後ろにいた社長に「早く、殺虫剤をかけてください」。と振り返って叫んだ。
そこにいたはずの社長は、騒ぎ出した蜂に恐怖して、一目散に逃げていたのである。私の後ろには誰もおらず、私だけが蜂の塊に網をかけて立っているだけの状態になった。
網に入りきれなかった周りの蜂が私を襲ってきた。
この時はさすがに身の危険を感じて、網を手放し、300メートルくらい、全力で走って、その場を離れた。
この事件の後、私は基本的に社長を信じないようにしようと心に決めた。
自分の身は自分で守ろうと。
すったもんだの後に、なんとか少しずつ蜂を処分して、ついに3時間くらいかけて、その民家の周辺には蜂はいなくなってしまった。
民家の住人にはえらく感謝された。感謝される仕事はやはり幸せなのだ。たとえどんな仕事であっても。
このような思い出に残る案件が山ほどあるのが、便利屋の面白いところである。今でも、またやってみたい衝動に時々駆られることがある。
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