アルバイト生活の始まり
間奏曲―フリーターの時代― その1
こうして、フリーターになった私は、目的をもってアルバイトを探し始めた。基準は明らかだ。人を相手にする仕事であること。そして、普通の生活をしている中では知ることのできない世界を知ること。
必然的に、対象は限られてくる。
医療、福祉、教育というところである。
しかし、この世界では学習塾の仕事など以外では、なかなか仕事はない。医療や福祉は資格が必要なことが一般的であり、またそれは当然のことでもあったからだ。
土日は、今まで行っていた便利屋のアルバイトを続けることにした。人手が足りなかったこともあるし、社長から来てほしいと言われていたこと、自分でも様々な仕事ができるので、自分にとっても価値が大きかったことが理由である。
そこで、他の平日にやることのできるアルバイトを探したのだ。
当時のアルバイトは色々なものがたくさんあった。インターネットはなかった時代だから就職情報誌やアルバイト情報誌で探すのである。
私が当時住んでいた杉並区から近いところにある自動車会社(宮園自動車という名称だったと記憶する)があり、その会社が、福祉バスを運行していた。
その添乗員の仕事の募集がされていたのを見つけたのである。
仕事はバスの添乗員だが、当然に高齢者や障碍者の方に接する仕事になる。朝や帰りはもちろん、行事などでバスを利用するときにも一緒に添乗して移動するのである。このような仕事は資格が必要でないので、これなら問題ないと思った。
さっそく応募して、すぐに面接に行った。
担当の方と数十分話して面接は終わり。アッという間に採用になった(このようなアルバイトをする人間は当時もあまり多くなかったのだと思う)。
いわゆる、ネガティブチェックというやつで、変な人間でなければよかったのかもしれない。
さっそく、面接の終わった翌週の月曜日から来るように言われた。
朝が少し早かった記憶があるが、会社に8時くらいに出社だっただろうか。
こうして、これまで接したことのない高齢者や障害のある人々との関わりがスタートすることになった。
全くこれまで垣間見たこともなかった世界ではあったので、どのようなことが私を待ち受けているのか皆目見当もつかなかった。
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