もらった自転車を1時間でダメにした話
自転車を買う金もなかった私は友人Nの計らいで自転車をもらえることになった。Nはバイクを買うので、自転車がいらなくなったという。
緑色のスポーツタイプの自転車だ。
どこに行くにも徒歩だった私は、大喜びでもらいに行った。
夕方大学の授業が終わってから、Nのうちに行ってしばらく話しをし、自転車置き場においてあった自転車をもらって帰ることにした。
ただライトが壊れていて点かない。これはさすがに自分で金を出して修理しようと思ってそのまま無灯火で家路を急いだ。快適な走りだ。
もうあたりはすっかり暗くなっている。喜びいっぱいにペダルを漕いだ。交差点を右折しようとしたとき、前方からまぶしい光が目に入ってきた。
「あっ」
ガシャン。
5メートル以上跳ね飛ばされたらしい。
気がついたら若い男女が私を抱きかかえていていた。すぐに救急車が呼ばれ、病院に直行することに。顔面から地面に落ちて顔は血まみれになっていた。ただ一瞬意識は失っていたのだが、すぐに復活して救急車には自分で歩いて乗ったと記憶している。
突然の惨劇。自転車は一日も活躍せずにぐしゃぐしゃになった。
医者が私に最初に言った言葉「君は運がいい。まだ生きているからね」
「昨日運ばれてきた人は、病院に来た時にはもう死んでたんだよ」
治療を終えて入院することになったが、とりあえず部屋がなく緊急治療室のようなところに寝かされた。となりでおばあさんが「うーうー」とうなっていてとても眠れなかった。人生で初めての入院だった。
自分では体のあちこちが痛くて、一体どのくらい入院しなければならないのか、見当もつかなかった。大変なのは授業だ。明日はフランス語の授業がある。欠席は3回でアウトだった。休みたくはない。
しかし、この状況で大学に行けるわけもない。
この時代、携帯電話などない。すぐに連絡などはとれないが、病院から実家と下宿先には電話が行ったようだった。遠く離れた長崎の地で、こんな知らせを聞いたら、両親はどれだけ心配するだろうかと思った。
眠れないついでに、いろんなことが頭をめぐった。大学に入学してから1か月ほど、ようやく鹿児島での生活にも慣れてきた。こんなタイミングで事故に遭うとは。
自分の不注意でもあり、相手のバイクの運転手が全面的に悪いわけでもない。医者がいうように、私は死んでいないし、顔面以外はそれほど傷もない。運が良かったというべきだろう。
後でわかったことだが、あと一秒でもバイクにぶつかるのが遅ければ、確実に重傷か重態か、死に至っていただろう。自分は幸運な人間だ。
たった一日で友人の自転車を壊してしまい、親や友人にも心配をかけてしまう。本当に情けないことである。
交通事故の標語に「注意一秒、怪我一生」というのがあった。いつも人ごとのようにそれを眺めていた自分。本当にこれからは注意をしなければならないと心から思った。きっと軽率な自分への重要なメッセージなんだろう。
事故も病気も、遠く離れた両親は、それを近くで確認できないだけに、本当に心配だろうと思う。自分も親になった今、それがよくわかるのである。
Share this content:
コメントを残す