「高学歴モンスター」 片田珠美

「高学歴モンスター」 片田珠美


学歴モンスター

高学歴なのにヤバい奴について書かれた本だが、実際は高学歴だからヤバいのだと思う内容である。プライドが高く、自己愛型ナルシストの高学歴者が繰り広げる様々な悲劇について実例を踏まえて述べられている。確かに学歴が高くなかったら、この本に出てくる実例のような高慢なナルシストは生まれないかもしれない。

私は学歴というものについては、ニュートラルであって、良しあしというのが結論である。多くの人はないよりはあった方がいいという考えだと思うが、私は現状ではどちらでもいいという結論をもっている。学歴は必ずしもその人の現時点での能力を示すものでは決してないし、学歴などなくても学習歴を積み重ねて賢く、優れた人は無数にいる。そしてそのような人は豊かで幸せだ。その意味で、そんなものはどっちでもいいのではないかということだ。その価値を測るならば、その人が幸せかどうかで人間の価値を測ればいいのではないか。

しかし、いい大学に行くことがいい意味での自信につながったり、エリートとしての高貴な義務につながったりするのなら、素晴らしいことで、それを求めることは結構なことだ。しかし、この本の例のような高学歴モンスターになるようであれば、ないほうがましだという話になる。この本が書かれたのが、2018年だが、今後はさらに学歴が意味をなさなくなる世界が展開されると思う。

日本の教育制度は、基本的には答えのある問題について、正解を当てる、というのがその内容になっている。この限界はすでに露呈しているし、すでに今の政治家や官僚がその悪い見本を見せてくれているのだと思う。特に国家公務員などの大きな規模の組織になればなるほどに(民間の大企業もそうかもしれないが)、この弊害は大きい。これはしかし高学歴だからというものではなく官僚組織そのものの問題なのかもしれない。

私自身は高校の時には大学に行く意味や意義を見失い、親には大学になんか行かないと豪語していた時期もあった。だからとて自分でそれをこえるような進路を見いだせず、結局は周りに流される形で大学に進学した。高校(長崎県立大村高等学校)は国公立大学に入学してなんぼという、一応の進学校だったので、それに乗るしか道がなかったのである。

学歴というものを大切なものだと思ったことはこれまでにはなかったし、それを追い求める気持ちもなかったが、世間に出るとそれが便利であり、一つのステイタスになってしまうことは事実である。ただ、それが何を保障するのかというと、ある種の答えのある問題に関して要領よく進めることができ、情報の処理速度が速いというくらいの能力の保障くらいだろうか。しかし、これは学歴に関係なく、持っている人はいる。

ただ積極的に情報を取り、自分で勉強を継続できる人は、やはり割合としては学歴のある人の方が高いのかもしれない。それは知的な好奇心があるためではないかと思う。しかし、それもそのような行動をとっている人に限るので、突き詰めて言えば、結局はその人次第だということになる。こう考えると学歴などに関して議論したり気にしている暇があったら、勉強したほうがいいということだ。

この本では「高学歴モンスター」という形で学歴のある人を取り上げて俎上に載せているが、学歴のない人の問題行動を俎上に載せれば、それはそれで無数に出てくるはずなので、このような本は参考程度に読めばいいのだろう。結局、学歴は「無視」するのが一番いいと思う。ただその人がどんな人なのか、今何をして、何ができる人なのか、人間的な成熟度も含めてそれを見ればいいだけではないだろうか。

この本の著者を揶揄するわけではないが、大阪大学の医学部を出たこの著者が本の中でドナルド・トランプについて述べているところがある。トランプはナルシシストであるということを述べているわけなのだが、おそらくは表面的な情報だけでそのように判断しているのだろうと思われる。またトランプのいう「アメリカ・ファースト」を、そのナルシシストを求めるアメリカの象徴だと述べている。これは社会科学や歴史、アメリカの現実を知らない安易な決めつけで大きな誤解だ。しかし要するにこの著者のように学歴があっても、十分な調査をせずに、マスコミや表面的な情報だけを見ていると、正しい理解は難しいといういい例だろう。

学歴とは関係ない話だが、結局勉強し続けて、物事の真実を探求し続ける姿勢を失うと、みんな同じになってしまうということだ。学歴があってもなくても、学び続けなければ、行きつくところは同じなのだ。大学を出て数年もすれば、学ばないものはほぼみんな同じになってしまう。無知と思考停止の世界がそれである。

学歴が高い人々がこのような形で取り上げられ、題材とされることはしかし、ある種の「期待」の裏返しであるともいえる。それだけ優秀な人なら、人間としても優秀であってほしい。立派な人であって欲しいというのが多くの人の期待なのだ。しかし、それを裏切り続ける高学歴の人が多いことが、この国の悲劇の源泉なのだろう。

最終的に私としては、学歴を一つの「経験」として見てあげればいいのだと思っている。高学歴の経験も、それがない経験も、どちらもいいではないか。その同じ期間をどのように過ごし、どのように生きたか、それが真に問われるべきことである。

(吉祥寺の古本屋で購入 100円)

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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